9月19日  「喜びの中に生かされる」  コリントの信徒への手紙T 26-9 

6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。

7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神に知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定められておられたものです。

8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

9 しかし、このことは、

「目が見もせず、耳が聞きもせず、

人の心に思い浮かびもしなかったことを、

神は御自分を愛する者たちに準備された」

と書いてあるとおりです。

 本日の聖書の箇所にある「信仰に成熟した人」というと経験深く強い信仰者のイメージをもってしまうが、本当のキリスト者として歩み続ける者は自分の経験・知恵を誇るものではなく、神に与えられ生かされている姿、つまり神の栄光を身に纏い、神の栄光を自分自身で表すことを許されているのである。

 伝道とは、命を言葉として伝えることであり、「私は道であり、真理であり、命である」と言われた主イエスを伝えることが、伝道の間違いなき姿である。この神の知恵に対し、この世の知恵に拠り頼もうとする私達の弱さの故に伝道も振り回されてしまうのである。 私達が忘れているのは、神に対して恐れをもつ姿であり、知らない故に何でも知る貧しさに陥るのである。神の知恵は神が隠されているのであり、全てを知ることは人間が神となることとなり、神はこのことを良しとされなかった。

 神の知恵は神の救いとなり、主イエスキリストの十字架と復活の出来事により示された。神様は御自分を愛された者たちに天地創造の前から準備され、一番良き道を既に備えてくださってあるのである。

 神の御手の中に今生かされている喜びをしっかりと新たにし、信仰を歩む成熟した者として、神の救い・主イエスキリストだけを、この口・このからだにあらわして歩んでゆきたい。そしてその本当に喜びに生かされる姿を生き生きと隣人に示すことができた時、隣人にも神の道を伝えることができるのである。

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