8月22日 「タラントの譬え」 マタイによる福音書
25章14-30節東方敬信牧師
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天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン,もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、16
五タラントンを預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。17
同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。18
しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。19
さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20
まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンをお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タランとんもうけました。』21
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』22
次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タランとんもうけました。』23
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』24
ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25
恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26
主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27
それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付で返してもらえたのに。28
さあ、そのタラントをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。30
この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
「タラントンの譬え」にある1タラントンは当時の6千日分の給料、即ち16年分と言う大変な単位の金額を主人が僕に預け、僕がそれらをどう用いるかの話であるが、2タラントン預かった僕に注目したい。この僕は、
5タラントン預かった僕を嫉妬せず、ただ主人だけをしっかりと見つめて、言換えれば、神の眼差しを感じながら大胆に、自由に預かったタラントンを精一杯用いたのであった。帰ってきた主人から、「忠実な良い僕だ、よくやった、主人と一緒に喜んでくれ」と、5タラントンを預かった僕とまったく同じ言葉で誉められた。マタイによる福音書6章に「見てもらおうとして、人の前で善行を行うな」とイエスは言われている。「見てもらう」と言うのは「シアター」即ち劇場に通じる言葉だが、人生を世間が見物人の劇場で生きるのではなく、神が観客である劇場で生きなさい、他人の評価ではなく、神の眼差しだけを意識して生きなさいとの御言葉である。「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせるな」と言う教えは、人に見せないだけでなく自分にも見せないように、つまり、自己満足に陥らないよう、神に感謝し神のシアターで生きよとの教えである。キリスト者は神のシアターで生きようとしている者の歩みであり、教会の奉仕は神の恵みによってさせて頂いている奉仕である。
カルヴァンは「人は、それぞれ神から持ち場を与えられている、即ち、全ての仕事は区別なく尊厳を持って輝いている」と言っている。神から、夫々に与えられたタラントンを、神のシアターで生きるものとして大胆に、自由に用いて精一杯生き、「良い忠実な僕だ、よくやった、私と一緒に喜んでくれ」、このような希望を与えられて共に歩んで行きたい。
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