7月4日 「言葉のいのちを感じよう」 ヨブ記
1章20-22節コリントの信徒への手紙T
1章18-25節東方敬信牧師
ヨブ記
1章20-22節
20
ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。21
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」22
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
コリントの信徒への手紙T
1章18-25節
「神の力、神の知恵であるキリスト」
18
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが,わたしたち救われる者には神の力です。19
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」20
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。21
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。22
ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、23
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、24
ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力,神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。25
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
現代私達の周りには、言葉が溢れている。しかし、もし言葉の重さを量る秤があれば、非常に軽い言葉(詩編にある「風に吹き飛ばされるもみ殻」のような軽さ)が多いのではないだろうか。これに比べ、本日の聖書の物語に登場するヨブには、全てを失うという不条理に囲まれながら、信仰に裏打ちされた輝きのある言葉があった。
このヨブの信仰に表れている神の力(赦しの力)は、私達を背後から突き動かすダイナマイトのような力であり、私達人間の自己矛盾(エゴイズム)を解決する唯一の力である。
コリントの教会の状況に表れているように、人間は弱さ(罪)により生きる基本的な姿に狂いを生じ、どうしても自分自身をコントロールすることができない。イエス・キリストは、そのような人間の事情を超えたところから理屈抜きに差し込んでくる神の愛を示してくださった。つまり、イエス・キリストは十字架に命を投げ出し、苦しみを味わうことにより、私達を罪から解放してくださったのである。
このように歴史を超え、人間の事情を超えた神の愛が今十字架の力として目の前に示され、その神の徹底的な愛により私達はつくりかえられる。そして、イエス・キリストの十字架の愛に捉えられ、感謝して悔い改め、つくりかえられる時、私達は本当に社会にとって必要とされる生き方ができるのである。
に戻る み言葉に聞くに戻る