7月18日  「感謝を生み出す事実」 コリントの信徒への手紙T 1章T−8

「挨拶と感謝」

 

1 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、

2 コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

4 わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。

5 あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。

6 こうして、キリストについての証があなたがたの間で確かなものとなったので、

7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。

主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。

今朝よりコリントの信徒への手紙のみ言葉を礼拝において共に受ける。

コリントへの信徒への手紙は教会に集うものに宛てた手紙であり、教会を立てていくための手紙である。教会に集う者がみ言葉として受けることの出来るように記されており、教会に集う者に宛てた手紙として受けとることが出来る。

私達は「神の教会」に集っていることを新たにするべきである。コリントの町は自由に歩めない人々の多い町であり、教会は神の教会といえない状況であったが、パウロは落胆も見放すこともせず、聖なる者とされた人々といっている。

 礼拝に集う者は聖なる者とされた人々である。神の招きにより教会に集い、神の恵みを受けた者故である。全世界に神の恵みがあることは、マルコの主の約束にもあったが、復活の主イエスを信じる者は神の民としてキリストに結ばれて歩んでいる。 神の恵みに感謝することは主イエスによって生かされ、キリスト・イエスの中にあることを確信することである。キリストのみ手の中にあることを確信することにより主に支えられ、感謝が宿り、神のみ手の中に生きる幸を感じるのである。 九節「神は真実な方です」のみ言葉は一点の曇りもない神が私達を召して聖なる者としてくださる約束である。

私達は神に愛され神に召された生命をありのままで生きることが許されている。神の教会に集う恵みを与えられる、それ以上の幸いはない。神を見上げて感謝をもって歩みたい。

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