6月6日  「子羊の勝利」 イザヤ書35章1-10節、マタイによる福音書5章1-12節 

東方敬信牧師


イザヤ書35章1
-10節

「栄光の回復」

 

1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ  砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野バラの花を一面に咲かせよ。

2 花を咲かせ 大いに喜んで、声をあげよ。 砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。 人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。

3 弱った手に力を込め よろめく膝を強くせよ。

4 心おののく人々に言え。 「雄雄しくあれ、恐れるな。 見よ、あなたたちの神を。 敵を打ち、悪に報いる神が来られる。 神は来て、あなたたちを救われる。」

5 そのとき、 見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。

6 そのとき 歩けなかった人が鹿のように踊り上がる。 口の利けなかった人が喜び歌う。 荒れ野に水が沸きいで 荒れ地に川が流れる。

7 熱した砂地は湖となり 乾いた地は水の湧くところとなる。 山犬がうずくまるところは 葦やパピルスの茂るところとなる。

8 そこに大路が敷かれる。 その道は聖なる道と呼ばれ 汚れた者がその道を通ることはない。 主御自身がその民に先立って歩まれ 愚か者がそこに迷い入ることはない。

9 そこに、獅子はおらず 獣が上ってきて襲いかかることもない。 解き放たれた人々がそこを進み

10 主に贖われた人々は帰って来る。 とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。 喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。

マタイによる福音書5章1-12節

1 イエスはこの群集を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。

2 そこで、イエスは口を開き、教えらられた。

「幸い」

3 「心の貧しい人々は、幸いである、 天国はその人たちのものである。 

4 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。

5 柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。

6 義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。

7 憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。

8 心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。

9 平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。

10 魏のために迫害される人々は、幸いである、 天国はその人たちのものである。

11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

 本日の聖書の物語は、有名な山上の説教の出発点である。そして、そこに集まった群衆は打ちひしがれて深く憐れまれた人達であるが、主イエスはこの群集にむかって「何と幸いなことか。」と教えられたのである。

 「心の貧しい人々は幸いである。」ここでいう貧しいとは、自分よりも神を高いものとして認め、自分が変えられることを覚悟して柔軟な心を持つことをいう。

 「悲しむ人々は幸いである。」ここでは個々の悲しみは定義されておらず、人間というのは悲しむべき存在であるということを理解して、神の慰めにより新たな旅路を歩むことができる人のことをいっている。

 「義に飢え渇く人々は幸いである。」ここでは幸いの秩序が描かれ、最後の晩餐の際、主イエスがパンとぶどう酒を分け与えられたように、全世界の人々が参加して互いに分け合うことにより平和が生まれることを示す。

 「平和を実現する人々は幸いである。」この部分は山上の説教の幸福の頂点である。主イエスに招かれた民は、神の子として生かされ、愛という最良の秩序に置かれることにより、平和の開墾者として用いられるのである。

 「義のために迫害される人々は幸いである。」主イエスの十字架は、ヨハネの黙示録で屠られた子羊が勝利するように、主イエスの愛が最後に歴史に勝つことを示す。

 今の社会に求められるものは、主イエスの愛により、勇気をもって平和を開墾することである。

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