4月25日  「主の十字架のみを誇る」 コリントの信徒への手紙T 1章18-31

                              兼子洋介神学生

「神の力、神の知恵であるキリスト」 

 

18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

19 それは、こう書いてあるからです。

「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、

23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち,ユダヤ人にはつまづかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

24 ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄の良い者が多かったわけでもありません。

27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。

31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりにあるためです。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と言うパウロを通じて語られるみ言葉は私たち人間を厳しく線引きした表現である。

しかし、ここで言う「救われる」と言うのは将来のことではなく、既に人間は「救われている」ことを言い表しているのである。私たちはすべからく誰一人として漏れることなく十字架によって救われているのだ。

二十九節で「それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」また、三十一節「誇るものは主を誇れ」と示されているのは、ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、又、既に信仰を許された者も、或いはこれから信仰を告白する者もイエス・キリストの十字架の前にはすべて等しくまったく区別はない。なぜならば、私たちの人間の受けるべき裁きを主イエスが一手に引き受けて苦難の道を歩まれ十字架にかかられた。そして復活された。

主イエスの十字架によって全ての者が神の前に等しく裁かれ、新たな命の歩みを許されているのだ。ここに私たち一人一人が生きている意味、価値が与えられている。私たち教会に集う者として、主イエスの十字架を唯一誇りとして、新たな命の恵みに感謝し希望を持って歩んで行きたい。



ホームページ
に戻る
   み言葉に聞くに戻る