3月7日 「孤独をみつめて」 マタイによる福音書
5章43−48節東方敬信牧師
「敵を愛しなさい」
43
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。44
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。45
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくだるからである。46
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。47
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。48
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
孤独はいつの時代も人生の大きな問題であるが孤独は人間の弱さではなく、生きることの本質であり、神の前で自分と向き合う訓練の時と言える。 孤独にはさまざまあり、複雑な人間関係における孤独の問題が深刻化している。
人間は本質的に孤独な存在であることを知り、自分をみつめる努力から愛の生活に気づくとき、孤独を乗り越え、落ち着いた生活を得ることができる。しかし、人間の愛には不確実性がある。
今日の聖書の箇所ではどんなことがあっても変わることのないアガペーの愛が示され、愛の本質を知るときことが出来る。
信仰の大切なところは一人ひとりがイエス・キリストによりあらわされた神の愛を見上げることである。主イエスは十字架の愛により私達を無条件に受け入れ、ゆるがない愛によって支えてくださる。主の愛により孤独を癒され、普遍的な愛に満たされて自分を愛するように他者を愛するものにとつくり変えられる。
神の愛に満たされ信仰の確信が得られるときに落ちついた隣人愛が生まれ、キリストの十字架に現れた神の愛に満たされるとき深い信仰に導かれる。受難節のこの時、神の深い真理をみつめる時である。
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