3月28日 「十字架の主イエスと出会う時」 マルコによる福音書
15章16-32節
「兵士から侮辱される」
16
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊全員を呼び集めた。17
そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、18
「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19
また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20
このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。「十字架につけられる」
21
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22
そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。24
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、 その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
25
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26
罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27
また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。29
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30
十字架から降りて自分を救ってみろ。」31
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって,代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32
メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
受難節を、主イエスの十字架の苦難を思いつつ歩んでいる。
主イエスは民衆の声に負けたピラトにより十字架刑を受け、兵士達から様々な侮辱を受け群衆の注目と罵声の中、ご自分の十字架を担いでゴルゴダへの道を歩まれ、十字架上で祭司長達、立法学者達からも代わる代わる侮辱を受けられた。これは神の御心に従い、そのみ業を現す僕としての歩みであった。
私達、主に招かれた者はこの主イエスの十字架に直面しなければならない。何故ならば、主の十字架は私達の汚さ、醜さ、どうしようもない罪人の姿を示し、私達の弱さ、痛々しさそのものであり、主イエスは神の御心に従い、それらを全てご自分のものとして背負って、私達の罪を贖い神の愛をお示しになった。ここに、悔い改めて福音を信ぜよとの主のみ言葉が輝き、私達はありのままの姿で主よ憐れみ給えと主に全てを委ね、自分の十字架を背負って真に主に従う歩みを進めることができる。
主との出会いは人様々である。しかし、自分の決断であるなしとに関わらず、十字架によって主イエスに招かれた点では皆一つである。今朝、主イエスの十字架の前に今一度、自分をしっかりと見出し、十字架の主イエスと出会う恵み、本当の喜びを感謝して主の復活に与りたい。
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