2月29日  「キリストの新しい契約に与かる者として」 

マルコによる福音書14章53-65節

「最高法院で裁判を受ける」

53 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって行った。

54 ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。

55 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。

56 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたからである。

57 すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。

58 「この男が、『わたしは人間の手で作ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』というのを,わたしは聞きました。」

59 しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。

60 そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、このものたちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」

61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。

62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」

63 大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。

64 諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。

65 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。又、下役たちは、イエスを平手で打った。

 マルコによる福音書 十四章五三節〜六五節 二年に亘ってマルコ福音書に聴いている。マルコ福音書には神の福音が集約され、貫かれている。福音は主イエスの十字架の死と復活のメッセージである。主イエスについて記される出来事は福音であり、すべて人間のための救いの歩みである。 祭司達は神を信じるものであったが、自分達の枠の中にキリストを求めていた。そのためまことのイエス・キリストを信じることが出来ないでいる。五八節の神殿は律法に集約されたことがらであり、主イエスの言われる神殿は見えない。み言葉が見えないのである。

 この聖書の箇所では、偽証している者の口を通して神の救いの業が示され、十字架の道の完成が示される。 大祭司の問いかけにメシヤであることを自ら示され、悪意と敵意に満ちあふれた敵の中で神の子であることを示される。 主イエスの判断にすべてをゆだねるとき神にとらわれる者の歩みがある。

 「神と汝」 まことの関係を見出すところに救いがある。み言葉に強くたってそれぞれの使命の場所に歩みだしたい。

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