1226   「主の御心が行われますように」 使徒言行録217-10

                        兼子洋介神学生

7 わたしたちは、テイルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。

8 翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。

9 この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。

10 幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。

「主の御心が行われますように」。これは主イエスが教えてくださった祈りであり、キリスト者の信仰を言い表す大切な言葉である。即ち、主に絶対の信頼と決意の信仰を告白し、神のご計画が何よりも優先して実現されることこそ私たちに真の平安をもたらすと信じるからである。

パウロが第3回伝道旅行を終えて、いよいよエルサレムに上ろうとした時、親しく交わり厚くもてなした人々は、パウロの身の危険を案じて、エルサレムに行かないようにパウロを説得したが、パウロから逆に叱責されて、皆は「主の御心が行われますように」と言って口をつぐんだ。パウロは主イエスのためならばエルサレムで縛られることも、死ぬことさえも覚悟していたのである。何故ならば、栄光に先立って苦難の道を歩まれ死に打ち勝たれた主イエスの名を伝えることが、主によって召され、遣わされている者の生きる目的であり、これこそが主の御心であることを確信していたからである。

パウロの身を案じて引き止めた人々の、最後に恐らくは呻くように発せられた「主の御心が行われますように」との祈りは、私たちが弱さの中にある時、主が自ら駆け寄ってくださり、私たちの口に信仰の言葉を添えてくださることを示しており、パウロのように微動だにしない信仰を持つ者も、私たちのように弱く欠けた者でも等しく「主の御心が行われますように」との告白を許されているのである。

マリアの告白によりクリスマスの喜びを与えられ、信仰を新たにさせられた今こそ、「主の御心が行われますように」の告白と共に歩みたい。

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