1219 クリスマス礼拝「まぶねの中に生きる」 ルカによる福音書21-7

1 そのころ、皇帝アウグストウスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。

2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、がリラやの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、

7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

私達は今朝、喜びの日クリスマスの朝を迎えた。主イエスのご降誕の出来事は繰り返し、毎年祝われるが古さを感ない不思議な出来事である。 主イエスは質素で不自由な場所にお生まれになった。説教題の「まぶね」は聖書でいう飼葉桶であり、この言葉はルカによる福音書にだけにある。この飼葉桶の乳飲み子に大きなメッセージが示されている。

 飼葉桶の赤ん坊に目を留めるように聖書は導くのである。では、力のない赤ん坊に何の力があるといのうか。 赤ん坊には大人のルールはなく、その存在が人を変える力を備えている。私達は赤ん坊を歩んできたお互いである。即ち、いつの間にか赤ん坊のように生かされてきた存在であることを忘れてしまう。神に創られたことを忘れ、神から離れた歩み一人で生きているかのように錯覚をする。それゆえに、毎年クリスマスの主イエスのご降誕を通し、神に対してあるべき、本来持っていたありのままの姿を取り戻すのである。

 飼葉桶の主イエス、赤ん坊は本当の平安の姿を示す。羊飼いの見た乳飲み子は人を変える力を生き生きと示すのである。私達の歩むべき姿は聖書ではどのように訴えているか、それは、主イエスのみあとを従う歩みである。 私達は、心と体の全てを神に預け、赤ん坊の姿になり神なくては生きることのできない自分を見出さなければならない。今朝は、恵みの内に洗礼式が行われる。一人の存在の第二の誕生日となり、神の子が生まれるのを目することの出来る場に出会う。クリスマスの朝、心から喜び、神に賛美を捧げ信仰の喜びをもって神の子として平安を心から見出しの歩み出したい。

 

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