10月3日  「神の前に豊かになる」  ルカによる福音書1213-21節 

東方敬信牧師

13 群集の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」

14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」

15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」

16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。

17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思いめぐらしたが、

18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、

19 こう自分に言ってやるのだ。「さ、これから先何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』

20 しかし神は、『愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。

21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 

 本日の聖書の物語では、極めて切実な問題がイエス・キリストの前に出された。古代には、清廉潔白で公平に人を裁くことができると考えられた宗教家のもとに遺産相続などについての裁判が多く持ち込まれた。しかし主イエスは訴えた群集の一人に貪欲さをみて、「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」と戒められた。

 聖書の語る「いのち」には二種類ある。一つは生物学的な命、そしてもう一つは隣人を愛し神を信頼することである。主イエスはお金で買えない世界があることを述べ、人の心の有りようを食べ物だけで語るのはおかしいことを、後の箇所で弟子たちにも教えられている。

 神様の愛は私達に十分に注がれている。そして神が共に居ることによって神様の愛は私達に染み込んでおり、その神様の愛の焦点が主イエス・キリストなのである。主イエスを信じることにより神様のみを求め、箴言にある「必要なパン」のように自分の生活に必要である以上のものを、少しでも他の人に分け与える小さな親切が全世界に平和をもたらすのではないだろうか。キリスト教は財産を軽蔑することを求めることはない。そうではなく神様から預かった財産をどう用いるかを大切にする歩みをする。

 私達は神の国を与えられている者として、他の人のために、一日一日祈ること、為すべきことをしっかりとすること、そのことが楽しみになるような生き方を歩んでゆきたい。

 

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