10月10日 「神の義がここに働く」 創世記
4章1-16節ローマの信徒への手紙1章
16-17節田所義郎神学生
創世記4章
1
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。2
彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。4
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、5
カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。6
主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。7
もしお前が正しのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」8
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。9
主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」10
主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」11
今、お前はのろわれる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。12
土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」13
カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。14
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」15
主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。16
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。
ローマの信徒への手紙 1章
16
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。17
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
「わたしは福音を恥としない。」から始まるローマの信徒への手紙の前文にパウロの福音理解の真髄が示されている。
カインは自分の献げ物には目に留められず、弟アベルの献げ物に目を留められたことに激しく怒り顔を伏せ、アベルを殺した。「お前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。」との再三の神の罪の告白の呼びかけにも拘らず、カインは自分の罪を心から悔い改めようとせず、反って、自ら神との関係を絶ってしまった。カインが絶望的な状況を認識し、自分は殺されると叫んだ時、神は「いや、そうではない」とカインを生かされた。ここに神の義が示されている。
私たち人間は、自分は何時も神に最良のものを捧げていると確信を持って言えない存在である。それにも拘らず、それを自分の罪として告白せず、責任を外に向け、神の前で目を伏せてしまう。しかし、神は、このような正しくない人間を正しい人間へと創りかえるよう絶えず働きかけていてくださる創造的な義の神である。それは、正に神の一人子イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、人間のすべての罪を背負って十字架に死に、神の義を完成された出来事を通じて明らかにされた。
私たちは主イエスの十字架によって神との和解を得た。主イエスの十字架によって、神が望み、願い、実現された神の愛を知ることが出来た。この愛によって神の義を知ることが出来、信仰による救いの希望が与えられた。この神の義を心から感謝し、証し人として歩んで行きたい。
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