初めての聖餐式
クリスチャン生活の始まり
2007年1月7日
| 2006年12月17日、ようやく洗礼を受けました。 そしてカタチ上は「クリスチャン」になりました。 この日記のゴールに到達しました。 が・・・どうやら新しいスタートでした。 水(正確にはお湯)から出た瞬間 ちっとも変わっていない自分に気づきました。 今思うと、自分が本当に生まれ変わったのは 2004年のイースターでした。 イエス・キリストを救い主と信じた瞬間、クリスチャンになっていました。 でも、受洗した意味が数日して「じわりじわり」とわかってきました。 ということで、そういう思いも残していかねば! 教会日記リニューアルでございます。 聖書に例えて「新約」編とさせていただきます。 まあ〜深い意味はありません(^^ 語呂がいいだけです。 洗礼式の翌週、クリスマスでした。 午前中は、身重の妻とともに駅前教会へ午後は祝会 そして夜は、娘と3人で妻の母教会に行きました。 世の中が「メリークリスマス!」と大騒ぎするなか 教会で静かに祈り賛美しました。 今考えると、友人を誘えばよかったと後悔しています。 もうこれからは、 連れてこられる立場ではない 連れてくる立場なのです。 日本のクリスマス はっきり言って異常です! 聖なる夜なのに さながら 性なる夜です 本来、イエスさまに与えなければならないプレゼントも 恋人同士で交換する日になっています。 教会に通い出したころは、このことが本当にむかついてました。 人の宗教を勝手にアレンジすんな!と でも、少し考え方が変わりました。 仏教徒だってなんだってクリスマスは喜んでます。(一部はのぞく) ちょっと間違ってるだけで、軌道修正してあげればいいのです。 来年のクリスマスには、いっぱい働きます。 翌週、大晦日は日曜でした。 1年の最後を教会で過ごせたことがとてもうれしかったです。 元旦も教会へ その帰り、新年の挨拶に実家へ行きました。 おかしなもんです。 去年の元旦は、安芸の宮島にいました。 別れた彼女と初詣に行く約束をして、すっぽかされました。 よりによって弘法大師が開基したとされる弥山山頂で彼女を待ってました。 わけのわからないお経が聞こえる本堂の横で手を組みかみさまに祈ってました。 「昼まで待ちますので、私の道を教えてください」 結局、彼女とは会えませんでした。 徒歩で下山しているときロープウエイで登って来てすれ違っていたようです。 それからわずか1年。 まったく知らなかった人と結婚し、子供まで授かり両親に挨拶している。 不思議なものです。 その両親も、洗礼を受けたことを重く受けとめているようです。 「おまえはクリスチャンになったんだから、お寺やお墓のことはいいからな」 今までは「エセクリスチャン」呼ばわりしていた両親からも一定の理解を得たようです。 そして、その翌週 初めての聖餐式でした。 今まで疎外感でツライ思いもしていたこの時 まわってきたパンを初めて手に取ります。 自粛していた妻もいっしょにパンを取ります。 引き裂かれたパンを見つめます。 粉々でヒビだらけ、そしてカラカラ これがイエスさまの苦しみなんだ!と必死に理解しようとしました。 感情移入しすぎて泣きそうになってしまいました。 聖餐式で泣いちゃうのもなんなんで、ガマンしました(^^ 味は…まあいいや 続いてぶどう酒 何をかくそう 私、果物アレルギーで柑橘以外の果物食べることができません。 もちろんぶどうもダメ(ワインだったら1本くらい飲んじゃうけど…) ギリギリまで悩みました。 キモチ悪くなったらどうしよう! 妻に飲んでもらおうか? でも、飲みたい! ダメだったら次回までに考えよう! ゴクリ ほんの少しだったので大丈夫でした(^^ こんな初めての聖餐式 もっともっと深く考えて、いかねばイカンと思いました。 新年の礼拝で「聖書通読表」なるものをもらいました。 それを説明していた、宮崎神学生が 「私は去年、聖書通読を完了し、そのおかげか妻を得ました!」などと言ってました。 あわてて、高橋牧師が 「聖書通読したからって御利益なんてないですからね!」と笑いながらフォローしてました。 そう!幸せになりたくてクリスチャンになったわけではない 御利益を得たくて礼拝に通っているわけではない 一般的日本人との根本的な違い このことを証ししていかねばならぬのだ。 教会の帰り道 谷保天神と大國魂神社の大渋滞を横目に思う。 |