福音を伝える
| 先週末の学び、大友さん真由美さんの結婚式 そして今日の礼拝 いつしか教会という所を中心に考える生活になってきている。 金曜日の学び 聖書はまだまだ創世記 聖書を読み始める前から、言葉は聞いたことがある ノアの箱船の話し。 しかしここは、重い・・・ 神さまはどんな人にも救いの手をさしのべてくれる。 それでもいつまでもまってくれるわけではない。 人の悪が増大したとき、神さまは裁きをあたえる。 現代に、思う。自然破壊、戦争、凶悪犯罪 いつまた裁きがくだるのか? 次の日、土曜日。結婚式の奉仕終了後、学生時代から18年のつきあいの 仲間と定例?の飲み会があった。 いつもだったら、しこたま飲んで終わる頃には太陽がでてる・・・ そんな不良の飲み会である。 しかし、土曜日。次の日は礼拝。 たしか3回目だっただろうか、深夜まで飲んで2日酔いで教会に行って ものすごい罪意識を感じたのは・・・ その反省をふまえ、ひとりウーロン茶でしのごう!と誓う が・・・ 気の合う仲間、「クリスチャンってお酒だめなのかよ?」と攻撃された時、 断れる100%の自信がない。 そこで、法律的に飲めないようにクルマで行った(笑) そんな行動をおこす元大酒飲みの自分に皆、興味しんしんである。 以前メールで「教会に通っている」というのは伝えてある。 「おまえだけは、絶対そういう所に行くような人間ではなかった!」 「なぜ、そうなったのか知りたい!」 「身近にそういう人いないから聞けないし!」 自分の希望ではなく、相手の希望で福音が始まる。 18年のつきあい。この18年に自分におこったさまざまなできごとを 皆知っている。それをひもといていく。 そして、今年1月に起こった偶然の数々・・・ 「すごいな・・・おまえ」 「神さまってやっぱりいるんだな・・・」 皆、一発で納得してしまった。 しかし、だからといってすぐイエスさまを信じるか?というわけではない。 「オレも何か、つらくなったら教会に行ってみよう!」 そう!必要にせまられていないのだ。 偶然にも今日の宣教でオッケルト先生が 「日本人は生活的に恵まれすぎていて、福音するのが難しい・・・」という ニュアンスのことを話されていた。 皆、自分は強い人間だと思っているのだ。 以前、居酒屋のマスターにも言われた。 「まっちゃんってなんでも一人で解決するイメージだったけど本当は弱いんだね」 その時は何も言えなかった。 今回も同じことを言われたのでこう答える。 「そうなのよ。だから神さまに委ねちゃうのよ。すごく楽になったよ(笑)」 とびきりの笑顔で答えてあげる。 すると相手は何も言い返せない。 昔の自分を知ってる人しか通用しないだろうけど・・・ そのうちの一人は、我が家に泊まり 今日の朝、教会までの道のり(立川駅まで送った)でも ずーーーーと教会の話しを聞いていた。 バレンタインデーとかクリスマスが大好きな日本人 本当は、どっかで興味があるし知りたい!と思っているのである。 しかし、勝手に教会をイメージして「近寄りがたい」と判断してしまう。 この人たちや両親を教会に連れて行くつもりは今のところない。 (関係者には怒られるかもしれないが) でも、話すこと伝えることは続けていくつもりだ。 いつか、人間の弱さに気づいた時、手をひっぱってあげようと思う。 「いつでも待ってるよー!」って オッケルト先生が 「天国がいっぱいになって入れないことはないんです」 と言われていたし・・・ でも「1秒でも早く伝えてあげなさい」とは逆ですね。 おまけ。 ここ数回の日記で、今までのつきあいとこれからのつきあいの悩み 「おいらはまだクリスチャンではない」ということを書いたら いろいろな人から助言をいただきました。 本当に感謝してます。 |