5度目 誰のために教会に行く(改)
| 5回目。もう自分の中で日曜の午前は教会に行くというのが根付いた。 先週聞いた「安息日のはなし」を忠実に守ろうと努力した1週間 しかし、土曜日で終わらすことはできなかった。 というより、取引先の原稿が来なかった。 締めきりは月曜いっぱい。何とか無理をすれば休めないこともない でも「最悪を考えて」午後から仕事の予定をたてて立川へ行く 今日の話は「一人のために」 例によって高橋先生の子供賛美から話は始まる。 「神さまは、なんでもつくれます。」 この宇宙と地球と人間と動物と食べ物をつくったということは信じるようになった。 「パソコンだってその中身だって作れます。」 ちょっと「?」マーク パソコンは人間が作ったんじゃないのだろうか? 「神さまが作った人間が作る=神さまが作った」 になるのだろうか? でも、そんなことはいい。なんとなく次へ いきなし高島礼子の黄桜CMから話は始まる。 「おかえりなさい」というCM ひとり暮らし歴15年の俺には関係のない言葉 たまに実家に帰っても 「久しぶり!」なんて言う挨拶。 当たり前のことなんだろうが、なんだか身にしみる カペナ?に帰って来たイエスさまを皆が「おかえりなさい」と迎え ヤイロという人の娘を救ったという話。 前日、読んだだけでは理解できなかったのだが 「恐れずに信じよ!」ということだ。 今月1週目すごく仕事がヒマだった。 自営業はヒマだとお金が入らない。 それでも信じてただ待った。 2週目いきなし仕事が入ってきた。 「奇跡」とまではいかないが信じていてよかったと思う。 そんなことを続けながら16年間。 こういうことも全て偶然ではないということがわかってきた。 話しを聞いているうちに父親のことが浮かんで来た。 今日高橋先生の話しを聞くまで 父は無謀で後先考えずつっぱしり たまたま運がよかっただけだと思っていた。 しかし、父にも恐れず信じる気持ちがあったからこそ今があるのだと 今日初めて思えた。 この話しをバイブルタイムで吉沢先生に話す。 最後に父のことも祈ってくれた。 涙がでた・・・ 父はクリスチャンではない。 いや、聞いたことはないのでわからないのだが・・・ 父にも神さまの力が働いているのだと思えてならない。 俺も、これから何事にも恐れず信じて生きていきたい。 そして自分だけではなく、両親のためにも祈りたい。 そう誓って教会をあとにした。 つづく |