見島(みしま)(山口県萩市)             2004年8月訪問

 見島をあまり知る人はいないと思うが、畜産関係者には、和牛ルーツの島としてかなり知られている。本土近くの海から遠望すると、島が三つあるように見え、三島と呼ばれたのが、見島になったともいわれる。萩市の北西44kmの沖に浮かぶ 面積7.8平方km、人口1300人のこの孤島に、国の天然記念物である見島牛を見に出かけた。

 萩商港から高速船に乗り、70分ほどで見島の玄関口の本村港に着く。驚いたことに見島は牛の形に似た島である。牛のモモのの部分に公共放牧場が2ヵ所ある。
  雨の中、一つ目の放牧場に向かう道すがら、左手に見島ダムを見る。そういえば島嶼(とうしょ)には珍しく水田が多い。灌漑がよく整備されているようである。しばらくすると見島牛が放牧されている棚田跡地が視界に入る。 
 シバ型草地の棚田に放牧されている雄1頭、雌5頭からなる見島牛。わが国の繁殖法のほとんどが人工授精であるが、このように雌牛群に種雄牛を混牧して自然交配する方法を「まき牛」という。漁船が行き交う日本海が目と鼻の先にある。
 二つ目の公共放牧場は海岸台地にある。宇津港と日本海を眺望できるシバ型放牧地に入ると、避難(庇陰)舎で休息中の群れが一斉に立ち上がり、興味深そうに近づいてきた(写真上)。本土の黒毛和牛とそっくりだが、体格がかなり小さい。私の身長が165cmなので、110cm程度の体格か(写真中)。避難舎に雄牛がいたが、これが本土の黒毛和牛の雌牛程度の大きさである(写真下:右端の牛が種雄牛)。 

解説:見島牛は室町時代に朝鮮半島から渡来し、他の品種の牛と交配されなかった最も古い和牛といわれている。昭和3年に天然記念物に指定され、戦前は400〜500頭飼育、200頭が移出された。昭和30年代に入り役牛としての役割が終わり激減し、昭和34年に保護増殖事業が始まり、昭和42年に見島牛保存会が発足した。現在100頭程度が数戸の農家により大切に飼われている。 

視て歩き考:  これまで改良の手が入ってこなかった見島牛は、時間の流れがそのまま停止し、本土と隔絶された陸の孤島の証のようである。だが、バルチック艦隊の敗残ロシア兵が見島に上陸し、島民の厚いもてなしを受け、帰国後、建造艦船名に島名を冠したいう話を、途中でたまたま同行した旅行者から聞いた。陸続きではないが海続きの歴史を思い起こさせる逸話である。                       詳細は見島HPにて                          戻る