W.A.MOZART

DIE ZAUBERFLÖTE

パパゲーノのアリア「恋人か女房があればいいが」《魔笛》KV620 より

「作曲が上手くできなくても、僕のせいじゃないよ。魔法の音楽なんて、書いたことがないんだから」   ―モーツアルトが、シカネーダーの作曲依頼を受けて語ったとされる言葉―
Ein Mädchen oder Weibchen
Wünscht Papageno sich!
O,so ein sanftes Taubshen
War' Seligkeit Fur mich!

恋人か女房が一人、
パパゲーノは欲しいよ。
優しい小鳩がいてくれたら、
こんなに嬉しいことはない。

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Dann schmeckte mir Trinken und Essen,
Dann könnt ich mit Fürsten mich messen,
Des Lebens als Weiser mich freu'n,
Und wie im Elisium sein;

そうすりゃ、飲み物、食べ物がうまくなる。
殿様の様な気分になれるし、
賢者のように暮らして
天国にいる気分にだってなれる。

Ach, kann ich denn keiner von allen
Den reizenden Mädchen gefallen?
Helf' eine mir nur aus der Tod';
Sonst gr
äm' ich mich wahrich zu tod';

ああ、かわいい娘のなかに、
おいらを気に入ってくれる子はいないのかい?
死にそうなときにだれも助けてくれなきゃ、
悲しくてほんとに死んじゃうよ。

Wird keine mir Liebe gewahren,
So muss mich die Flamme versehren;
Doch küsst mich ein weiblicher Mund,
So bin ich schon wieder gesund.
誰もおいらを愛してくれなけりゃ、
おいらは身を焦がして焼き鳥だ。
でも、女の子が一人、キスしてくれるのなら
またすぐ元気が出て来るんだけど。

ポイント魔法の音楽-魔笛のあらすじ

 《魔笛》は、モーツアルトの最後のオペラで、生涯の最後の年1791年に作曲されました。宮廷のお偉い方々対象だった今までのモーツアルトのオペラと違い、魔笛はシカネーダーという興行師の依頼で、彼の劇場で上演する、民衆相手のオペラとして、親しみやすい題材を採っています。

 あらすじは、

よその国からきた王子タミーノは、夜の女王から頼まれ、悪者ザラストロにさらわれた王女パミーナを救い出しにでかける。 しかしザラストロの居城に着いてみると、実は彼は高徳の僧であり、邪悪な夜の女王からパミーナを保護しているのだ、と判明する。 彼らの仲間となるべく、タミーノは試練を受けることになる。最後はパミーナと共に魔法の笛の力で試練を切り抜け、二人で神殿に入り祝福される。夜の女王とその一味は永遠の夜へと追放される。

 といったメルヒェン仕立ての内容です。

ポイントパパゲーノは「うっかり八兵衛」?

 パパゲーノは、鳥を捕っては夜の女王の宮殿に届けるのを生業としており、ちょっとした行きがかりでタミーノのお供をすることとなります。飲むこと、食べることが大好きな彼は、「水戸黄門」で例えればうっかり八兵衛のような(?)役どころでしょうか。しかし彼はタミーノを後目にパミーナを助け出す寸前までいったり、なかなかの大活躍を見せます。

 そんなパパゲーノの唯一の悩みはまだ恋人も、ガールフレンドもいないこと。劇中あちこちで恋人がいないのを嘆いています。

 彼のアリア「恋人か女房があればいいが」もまさにその一つ。歌詞の内容は酔っぱらいのたわごとのようにもとれますが、モーツアルトの素朴で優しい、ほんの少し悲しい音楽に乗せて歌われると、不思議と共感を呼ぶ歌になります。

 パパゲーノは、単に陽気で騒がしい道化役のように演じられる事もありますが、素朴ながらも、なにか天才的なところのある妖精的人物として解釈されることもあります。パパゲーノをどう理解するかが、《魔笛》の演出全体を左右する重要なポイントの1つともなっています。

ポイントタミーノ君、だいじょうぶ?・・・悪名高き台本。

 生き生きとしたパパゲーノにくらべて、本来主役であるタミーノは、全体として生彩を欠きます。ザラストロの城で、「実はこっちが正義の味方。向こうが悪者。」といわれ、あっさり信じてしまうあたり、「このひとだいじょうぶかな〜」と思ってしまいます。―哀れな母の願いで娘を助けに来たものの、ミイラ取りがミイラになって、カルト宗教に入信してしまった若者―といった図式が頭に浮かばないでもありません。

 この他にもつじつまの合わないところは多々あります。例えばタミーノは最後に魔法の笛の力で試練を切り抜け、パパゲーノも魔法の鈴で恋人を得るのですが、その二つの魔法アイテムは、そもそも最初に夜の女王からもらったもの。なぜ、悪者に属するアイテムでハッピーエンドが得られるのか、腑に落ちないところです。

 この原因は、途中で筋書きを大幅に変更したせいだといわれています。台本の執筆も作曲もかり進んだ頃、シカネーダーのライバル劇場が先に同じ題材のオペラで大評判をとってしまい、変更せざるを得なかったのです。現在では「モーツアルトの音楽はすばらしいが、台本はハチャメチャ、史上最悪だ。」と多くの解説書で批評されています。

ポイントモーツアルトは「魔法の音楽」に成功したか

 とはいえ、ベートーベンやワーグナーなど数多くの人が《魔笛》に感動し、ゲーテに至っては魔笛の続編をかいています。そんな魔笛の魅力とは何でしょうか?

 私はむしろ高貴な音楽と支離滅裂な台本とのアンバランス、これこそが魔笛の魅力なのではないかと思います。子供の書いた稚拙なライオンの絵、それに魔法使が杖をひと振りするとたちまち動き出す。そういった魔力を、モーツアルトの音楽がシカネーダーの台本にかけたのではないでしょうか。そんな魔法を自分の作品にもかけて欲しい、ゲーテ達もそう思ったのではないでしょうか。

 しかし、魔法使いがいなければ魔法もかからず、ゲーテの続編は未完に終わったのでした。

ポイントシャガールと魔笛

 1967年2月のニューヨークメトロポリタン劇場で上演された「魔笛」は、舞台装置と衣装を当時80才のロシア人画家マルク・シャガールが担当しました。シャガールがもっとも惹かれたのはパパゲーノで、もっとも身近で愛すべき存在だったという話です。

 このときパパゲーノを歌ったのはヘルマン・プライ。(私の大好きな歌手です。)彼の自伝には、作ってもらった衣装のしっぽが下がっていて悲しそうなので、ピンと上に跳ね上げてもらった、といったエピソードが書いてあります。
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