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ミホノブルボンのデータ 1989.4.25生 栗毛 父マグニチュード 母カツミエコー 馬主 泣~ホノインターナショナル 生産者 原口圭二(北海道沙流郡門別町) 調教師 故戸山為夫氏 厩舎 松元茂樹 |
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全成績
8戦7勝2着1回 1991・9・7 新馬(中京・芝1000m・良・小島貞・53kg・タイム0,58,1・496kg)1着 1991・11・23 500万下(東京・芝1600m・良・小島貞・54kg・タイム1,35,1・506kg)1着 1991・12・8 朝日杯3歳S・GT(中山・芝1600m・良・小島貞・54kg・タイム1,34,5・496kg)1着 1992・3・29 スプリングS・GU(中山・芝1800m・重・小島貞・56kg・タイム1,50,1・490kg)1着 1992・4・19日 皐月賞・GT(中山・芝2000・m・良・小島貞・57kg・タイム2,01,4・490kg)1着 19992・5月31日 日本ダービー・GT(東京・芝2400m・やや重・小島貞・57kg・タイム2,27,8・494kg)1着 1992・10・18日 京都新聞杯・GU(京都・芝2200m・良・小島貞・57kg・タイム2,12,0・508kg)1着 1992・11月8日 菊花賞・GT(京都・芝3000m・良・小島貞・57kg・タイム3,05,2・512kg)2着 1992年菊花賞後 屈腱炎の為引退 ◎獲得総賞金 \525,969,800 ◎馬名の由来 馬主・泣~ホノインターナショナルの冠号「ミホノ」と 2世紀以上もフランスに君臨した王朝名「ブルボン」 ◎ライバル ライスシャワー ノーザンコンダクト ◎脚質 逃げ ◎主戦騎手 小島貞博騎手 ◎JRA賞表彰歴 1991年度JRA賞最優秀3歳牡馬 1992年度JRA賞年度代表馬 1992年度JRA賞最優秀4歳牡馬 ◎繁用先 日高軽種馬農協 門別種馬場 |
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ミホノブルボンと自分
自分が競馬をやり始めて、2年目の9月に彼は中京でデビューした。 新馬戦は、出遅れて、後方だったが、最後の直線で上がり33,1の末脚が爆発し勝った。この馬を見たとき、栗毛でとても綺麗な馬だったという記憶があり好きになった。その後、11月に東京で500万下に出走、逃げ切った!向かえた朝日杯のレースでもちろん1番人気でこれまた逃げ切り!この時、確信した、この馬は必ずダービー馬になると! 明け3歳(当時4歳)になった彼の初戦はスプリングSだった!この時の1番人気は鞍乗、武豊騎手のノーザンコンダクト・・ノーザンコンダクトに何か負けないと思い、その思い通り、逃げ切ってしまった!! その後、皐月賞・ダービーと連覇し、無敗の2冠馬になる。秋初戦 日本ダービー2着に来て穴をあけたライスシャワーとの対決で、見事彼は京都新聞杯を逃げ切った! こうなれば最後の1冠菊花賞、無敗の3冠馬の夢が!もちろん1番人気が彼で2番人気がライスシャワー 菊でも彼は逃げを打ち最後の直線の100m付近でライスシャワーに捕まり、2着に破れてしまった・・・ 無敗の3冠馬になれず、彼は、菊花賞後、屈腱炎を発症し陣営が治療をし続けて1年彼はターフの戻ってくることは無かった・・・ |