雪の降る場所

 

 


 雪が降る。雪が降る。白い白い雪が降る。
 山に生まれ、街に降る。空に舞って、風へ還る。氷の結晶が世界を白銀に埋めていく。
 啓介はホームコースである赤城山の峠の眺めのよい場所に愛車を止め、ぼんやりと白くなっていく世界を立ち尽くして見ていた。銜えた煙草の煙が灰色の雲とまざり、どこまでが煙で、どこからか雲なのか分からなかった。
 全てが雪に吸い込まれ、啓介の周囲にはささやかな音すらなかった。
 落とさなかった煙草の灰が重力に負けて、今にも崩れそうに震えている。FDに体重を預けながら、啓介はゆっくりと瞳を閉じた。
 音が聞こえる。全てが雪に吸い込まれていく世界で、たった一つの音が聞こえてきた。
 耳慣れたエンジン音。心地よいロータリーサウンド。音の大きさから、今どこのコーナーを攻めているのか、手に取るように分かる。ここは彼ら兄弟のホームグラウンドなのだから。
 啓介がゆっくりと瞳を開けた。そこには一台の白い車が停まっていた。そして、ドアが開き、降りてくる。
「アニキ」
「啓介、どうした、こんな所で何をしているんだ」
「雪、見てたんだ」
 根元まで吸った煙草を灰皿代わりの空缶に押し込んで、啓介は兄である涼介に広がる世界を指し示した。
「ほら、綺麗じゃん」
 涼介は近づいてきて、啓介の頬に触れた。窘めるように苦笑する。
「綺麗なのもいいが、こんなに冷えて、一体いつからここにいたんだ、啓介。風邪をひくぞ」
「あんまよく覚えてないな。何だか、雪が白くて綺麗だからよ、見てたんだ。そしたらさ」
 頬に触れていた涼介の手を取った。
「どうした?」
「急にアニキに会いたくなった」
 涼介の手のぬくもりに、自分が随分凍えていた事に気が付いた。
「偶然だな。オレも何だかお前に会いたくなってな、ここに来たってわけだ。だが、あまりのんびりしていると山を降りるのが大変になりそうだな」
 笑って啓介の横を擦り抜けて、涼介は一番の眺めの良い場所に立った。白い世界を正面に捉える背中に、啓介は瞳を奪われる。
 小さな頃から、啓介の前には常にこの背中があった。この背中に守られ、この背中を追い掛けてきた。
 夢のような雪に音を奪われ、世界はただ白く埋め尽くされていく。啓介は腕をのばして、白い世界に同化してしまいそうな儚い背中を抱き締めた。冷えきった啓介の身体に涼介の体温がじわりと染み込んでくる。
 回された腕に小さく笑って、涼介は宥めるように軽く叩いた。
「何を甘えているんだ、お前は。身体はでかくなったってのに、中身はまだまだ子供だな」
「アニキ」
「何だ?」
「オレを置いていかないでくれ」
 涼介の肩口に顔を埋めたので、声は変にくぐもった。
「お前を置いて、オレが何処に行くと言うんだ?」
 涼介の瞳は常に先を見ている事を啓介は知っている。兄の考えにはいつも遠く及ばないし、彼の洞察力にかなう者などいなかった。
 あの夏の日、ハチロクとのバトルを前に引退を口にされた時。
 プロジェクトDの構想を聞かされた時。
 東堂塾OBとのバトルでハチロクを選ばれた時。
 常に啓介は涼介に置いていかれたような気分を味わった。それは自分がまだまだ兄の足元にも及ばないと、思い知らされているようでもあった。
「オレを置いて、何処にも行かないでくれよな」
 涼介の手が安心させるように、啓介の頭に触れた。
「それは違うぞ、啓介」
 音のない世界で、兄の声だけが啓介の耳に届く風だった。
「置いていかれるのは、オレの方だよ」
 遥かなる雪が静かに舞い落ちて、消えていく。
「いつのまにかお前の身長がオレを追い抜かしていったように、置いていかれるのはオレの方なんだぜ、啓介」
「そんなの分かんねーよ」
「お前は真直ぐ進めばいいんだ。迷うな、立ち止まるな。お前にしか見えない景色をオレにも見せてくれよな」
 兄の声は優しい。音のない世界で、それだけが啓介を安心させる。
 白く眠りつつある世界の中で、行く道を見失わないように、啓介は腕に力を込めて、ただぬくもりに縋った。

                  

 


 

 

10年来の友人、叶めぐみ嬢から誕生日プレゼントにいただきました。

ありがとう、めぐみちゃんv

もうあんまり誕生日を手放しでは喜べない歳なんだけど、こんな素敵なものがもらえるんだったら、年に2回来てもいいです!

叶めぐみ嬢は現在、別ジャンルのオフラインで活動中です。

長い付き合いですが、その間彼女とは、実は一度としてカップリングが一致したことがありません……。イニDは啓介受けの人です。が、私のために兄受けを書いてくれましたv ――兄受け、よね、めぐみちゃん?

 

 

 

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