(3)県大会、地区予選

関係者以外は知らない演奏だとは思いますが、あくまで私的名演ですのでご容赦を…

'87大宮地区大会 与野市立与野東中学校 指揮 糟谷淳

F・リスト/淀彰:ハンガリー狂詩曲第2番

当時中学生だった私が、同じ中学生として目標にした演奏です。完成された演奏でした。とくにクラのソロがうまかった。同じ中学生だというのが信じられませんでした。と同時にそんなバンドで活動できることを、とてもうらやましく思いました。

'89埼玉県大会 川口市立青木中学校 指揮 大木忠雄

R・ワーグナー/L・カイエ:歌劇「ローエングリン」よりエルザの大聖堂への行列

前年に県大会でダメ最優秀賞(最優秀なのに関東大会に行けない)になるという歴史的事件に遭遇した青木中が、勝負をかけた演奏でした。そのいきさつを知っていたからよけいに感じたのかもしれませんが、「関東に行くんだ!」という念を発する鬼気迫る演奏でした。三人のソリストが素晴らしい音色でソロを奏で、協奏曲かのような作り方をしていたのが印象に残っています。

※歴史的事件

埼玉県吹奏楽コンクールでは、1981年から県代表選考会(現県大会)を開催し、その大会において最優秀団体を選出し、関東大会に推薦してきました。

ところが、1988年の中学校第1部県大会において事件は起きました。

演奏が終わり、いよいよ結果発表。関東大会への推薦団体は4団体です(県大会は全17団体)。県大会は全団体が入賞するので、演奏順に舞台上で表彰されていきます。

次々と表彰されていき、演奏順4番川越市立霞ヶ関西中学校、5番川越市立野田中学校、6番和光市立第二中学校と、立て続けに最優秀団体が出ました。

いよいよ残る代表枠は、あと1団体。

そして演奏順11番川口市立青木中学校が最優秀の表彰を受けました。これで、あとは優秀か優良だなと会場が思っていました。

しかし、演奏順17番。つまり最後の団体の表彰の時にどよめきが起こりました。

演奏順17番大宮市立大砂土中学校も最優秀の表彰を受けたのです。

最優秀団体が5団体でてしまいました。関東大会への推薦団体は4団体。

1981年から始まった県大会の歴史の中で「最優秀団体=関東への推薦団体」という等式が破られることはありませんでした。

当然生徒たちもそう思っていたでしょう。いや会場にいる人全員がそう思っていたのではないでしょうか。5団体の関係者の方々は困惑を隠しきれなかったことと思います。

結局関東への推薦団体は、霞ヶ関西中、野田中、和光二中、大砂土中の4団体になりました。

一度この手につかみかけた関東大会への切符が幻と消えてしまった、当時の関係者の方の気持ちはいかほどだったか想像もつきません。

けれども次の年、青木中は県大会において、鬼気迫るすばらしい演奏を聞かせてくれました。そして、前年に指の間からすり抜けていった関東大会への切符を見事にその手につかんだのです。当時高校生だった私にとって、この演奏は忘れられない演奏の一つとなりました。

※2 その後'92高校Aの部でも松山高校が関東大会に行けない最優秀を受賞しています。松山高校は翌'93も県大に出場しましたが、残念ながら優秀賞で関東大会へは出場していません

※3 その後'96から県大会も最優秀・優秀・優良から金銀銅に変わりました。