アテネオリンピックで私的に忘れられないシーンがありました。
女子800M自由形で金メダルを獲得した柴田亜衣さんのメダル獲得後のインタビューでのことです。
どこのテレビ局だったか全然覚えていないのですが、一通りよくあるインタビューをしたあとに インタビュアーか、日本のスタジオのキャスターだかが、たぶん何の気なしに、こんな質問をしたのです。
その時に柴田さんは
と、ひとこと言ったあとに、涙が出てきて言葉に詰まってしまったんです。テレビを見ていた私も胸が詰まってしまいました。
もちろんオリンピックに出られて、しかも金メダルまでとれたのだから才能がないわけないんですよ。 でも、そのレベルの才能ではないんですよ。
確かに短距離の選手というのは、特殊な才能が必要なのかもしれません。 五輪で活躍するような選手は、みな小中学生の頃から活躍しています。 バルセロナ五輪で14歳の岩崎恭子さんが金メダルを獲得したのは、その最たる例です。
柴田さんにはそういった意味での才能はなかったのでしょう。だから、コーチや本人も比較的早い段階で中長距離を選んだのではなかったのでしょうか。「上」を目指すために。
しかし自由形の中・長距離には、彼女と同年齢の山田沙知子さん(400,800,1500M自由形日本記録保持者)という まぶしいほどの才能あふれる選手がいました。山田さんは中学・高校でもそれぞれの世代の日本記録を持っています。
自らも高いレベルにあるけれども、山田さんには勝てない。そこでも自分の「才能」を感じたのではないでしょうか。
けれども彼女は五輪を目指して続けたんですよね。そして今自分の胸には金メダルがある…
そういったいろいろな思いが去来したのかなあと、勝手に感じてしまい胸が詰まりました。 (いや、本人の胸には、私の勝手な想像とは全然違う思いが去来してたんでしょうけどね)
ところで、吹奏楽部ではパート決めがあります。全員が希望パートになれるわけではありません。 たとえ中学で3年間やっていて本人が強く希望しても、その楽器に決まるとは限りません。
そしてオーディションの結果、希望する楽器になれなかったとき、いやでも「才能」を感じさせられることがあるかもしれません。
また、首尾よく希望のパートになれた時でも、同じ楽器の同級生や先輩と「才能」の差を感じることがあるかもしれません。
そうしたからと言って必ずしもいい結果がでるとは限りません。思うように上達していかず、楽器がいやになるかもしれません。自分の限界を感じて愕然とするかもしれません。でも、そこまで努力を続ければ、その練習は必ずあなたに何かを与えてくれます。
もしかしてあなたも柴田さんのようになれるかもしれません。シンデレラになる資格を自ら放棄するようなことはしないでくれたらと思います。