コンクール会場に飛び交う声。これは何でしょうか。
多分オペラとかで、すばらしい演奏に対してかける言葉のまねではじまったんでしょうけれど、最近のはもう明らかに違いますね。
本家の方はイタリア語【bravo】で「すばらしい」とかいう意味です。すばらしい演奏に対して声かけるのは悪いとはいいません。
(本当は…イタリア語的には本当は「ブラーヴォ」てな感じで第二音節にアクセントが正しいらしいとか、本当は男性に向けてと女性に向けてと複数に向けてで全部ちょっとづつ語尾が変わるらしいとか、日本人のくせに、しかもイタリアものじゃない演奏きいてるのにイタリア語で賞賛するなとか…いろいろ重箱の隅をつつきたい点はあるんですが…)
でもそういったことは本質的には別にどうでもいいことなのでかまわないと思います。
問題なのは、日本の吹奏楽コンクールにおける「ブラボー」が、演奏が終わった直後に間髪入れずにかかることです。それはどう考えても、ブラボーをかけようと思って身構えているからできることだと思います。
私が非常に不快なのは、この演奏から間髪入れずにかかる「ブラボー」です。 ここでの「ブラボー」とはその間髪入れずにかかる「ブラボー」限定です。
よくブラボーについて否定的な意見を言うと、いい演奏で感動したから自然に言葉が出てきたんだという反論を言う人がいます。
だってあなたイタリア人なんですか?それともイタリア語ぺらぺら?ケンカして興奮するとイタリア語でまくし立てますか?足の小指をタンスの角にぶつけた時は【ahi】!って発音しますか?
そんなことはないですよね。
自然にでるためには、頭の中で次のようなプロセスを経て言葉が出てくるはずです。
演奏が終わった→いい演奏だった。感動した→この感動を相手に伝えたい→ →叫ぼう(こういうときは確か「ブラボーっ」て言うんだ)→「ブラボーーーーーー」
たとえイタリア人だったとしてもこのプロセスを経るはずです。しかし吹奏楽コンクールで「ブラボー」を言う人たちは、事前にそのプロセスを経てしまっているとしか思えません。しかも自分たちに都合のいいように端折ったプロセスを。
事前に(いい演奏→演奏が終わる→「ブラボー」)プロセスは終わっているから、
いい演奏だ(演奏途中に思う)→演奏が終わった→「ブラボーーーーー」となります
もっとひどいと(演奏が終わる→「ブラボー」)というプロセスになって
演奏が終わった→「ブラボーーーーーーー」 となります。
これなら間髪入れずに入れられますよね。果たしてこれが自然な気持ちなのか否か…
俺は誰よりも早くこの演奏がすばらしいと言うことを見抜いて(感じて) いるということをみんなにアピールするのがうれしい
コンクールの実況録音に自分の声が入っていることがうれしい。
とにかく大きな声で叫ぶのがうれしい。
ブラボーってみんなで言わないとコンクールに来た気がしない。
「ブラボーかからないと金賞とれないんだって。本当だってば。」
「え、演奏終わったらブラボーって言わなくちゃいけないんでしょ?」
まあそれぞれの頭の中は、こんな感じだと思いますが…
一瞬の余韻を聴き、拍手をし、感嘆の声を上げるというプロセスは、ぜひ守ってほしいものです…感嘆の声を上げること自体は決して悪いことではないのですから…