精霊の森

 

アルマキナンには、昔から守るよう伝えられているきまりごとがある。
掟(おきて)と呼ばれるそれらは、常に彼女達のなかに当たり前のこととして存在した。

口寄せの子はアルマ・キナンの外の世界に触れてはいけない。

強い望みをもってはならない。

それは予言を狂わせ、精霊の声から、真実から彼女を遠ざけることになるから。

 

とおいとおい昔からこの村に伝わってきた一番大切な掟。

++++++++

 

「しかしユン、それはアルマ・キナンの掟に背くことになる」

渋い声で否を唱えるのは、村の実質的なリーダーとしてユンも姉のように慕っているユイリだった。
ユンの言葉が優しい彼女を困らせることは分かっていたけれど、実際にそう告げてみて形のよい眉を潜ませるユイリの姿に、胸にちくりと痛みが過ぎった。

姉さんの言うことはよく分かる。
口寄せの子は、精霊と近しいとされる村の娘の中でも比するべくもないほど感応力が強い。

それは精霊のみならず多くの人の強い感情……喜び、感謝などの陽のものはもちろん怒り、悲しみ、悔しさなどの陰のものも過敏に感じ取るということ。
多くの人々の集まる外の世界は過大な負荷によって精神を磨耗する。
生まれた時から行を積むことを義務づけられ、感情を抑制することに長けたアルマキナンの住人たち。

またその聖地に眠る先達たる精霊の力によって浄化された大気。
これらのものがなければたちどころに衰弱し、長くは生を保てない。
実際、何世代か前の口寄せの子で、そうやって自滅してしまった者も少なくないのだ。

この静かに閉ざされた世界だけが、わたしに安全な生を保証してくれる。

でも…………もう……それも………………あと少しの間。

「姉様も、もう感じ取っているんでしょう」

運命の時が近付いている。

アルマ・キナンにとって、いえ、グラスランドやゼクセン、すべての人たちにとっての大切な選択が。
それはわたしだけでなくこの地にすむすべての娘もまた大なり小なりとも感じていることだけれど。
誰かの悲しみが、開けてはいけない扉を開こうとしている。

この世界を、壊してしまう。

  

そしてそれを阻む役目を持つ人を、導くのが私の役目。

 

今、このときを生きる口寄せの子である私の、最初で最後のこの世に生を受けた理由。

 

そして。

その役目が終わったら。

私の人としての人世は……終わる。

 

………………だけど。

 

わたしがむしろ待ち望んでいたなんていえば、優しい姉さんは悲しむだろうか。
生まれた時から半分精霊だったわたしが完全な姿になるだけのこと。
それが人間か精霊かの違いだけで、「私」はなくなってしまうわけじゃない。

 

ただ、一つだけ望んでしまうことができてしまった。

 

「……会いたい人が、いるんです」

 

少しの間だけだけでいい、同じ人間(ひと)として、過ごすことができたらいい。

ユンという人間(ひと)の記憶が、あの人に残ればいいと思う。

預言の夢の中に出てくるきれいな女の子。
いまはいっそ凛々しいまでに成長した憧れの女性(ひと)。
おとぎ話の騎士そのままに、出会ったこともない彼女の姿は鮮明で。
この地に水を封じた人の血を継承する唯一の……

 

時間が凍り付くまで見つめあったあと、ユイリ姉さんはふと表情をゆるめた。
「仕方ないな」そういって折れてくれるときの姉さんは、いろいろな感情の混じった目で、笑ったように見えた。

 

「それがユンにとって必要なことならば」

 

「ユンは歴代の「口寄せの子」のなかでもおそらくとても強い霊力を持っているけれど、…精霊の力を借りなくても自分を保てるだけの強さがあるものな」

「ユイリ姉さま…」

「口寄せの子の予言は絶対だ」

だからユンがそう願うならとめることはできないと。
これが「預言」じゃないことなんて知っていて、ユンの望みを叶えることを許すユイリの、精一杯の譲歩である思いやりなのだ。

 

「ありがとう ユイリ姉さん」

 

瞳に浮かんだ涙の理由は、自分でもよくわからない。
感謝、安堵、期待、切なさ…あらゆる感情があふれてただ胸が熱くなるのを、止めたいとは思わなかった。

 

 

そして。

運命は動き始める。

 

 

  

一面に豊かな果実の房を垂らす葡萄畑。
青く遠く澄んだ空の下、流れる絹糸のごとき髪をなびかせる銀の乙女。
気配を感じたのか、形よい眉を少し潜めてこちらを振り返るその人は、初めて出会ったとてもとても大切な人。

夢ではなく、現実の彼女は紫の瞳をまっすぐに向けてくる。

歴史を動かす運命を持った人。

 

ああ、やっと会えた。

 

「あなたを待っていました、クリスさん」

 

そしてここから本当の運命が始まる。

END

ユン視点はむずかしく、何度も挫折しながらやっとアップ。
この話の前提になる夢話がないと謎な部分が多いのですが。ユンにとってクリスは童話の中の王子様に近いイメージです。そして彼女のなりたかった理想そのものでもあります。幼い少女がお話のなかの人物に憧れるような、綺麗な感情。うまくいえないけれど純粋な憧れと好意。見返りを求めるということを考えない感情。私にとってユン→クリスはだから厳密には恋愛ではないんです。誰よりも愛してはいるけれど恋じゃない。だからクリスが好きな人と結ばれても、クリスが幸せなら彼女は嫉妬等しないで誰よりも祝福するでしょう。相手は容赦なく見定めますが(笑)