自傷と自殺と
たまたま仕事で「尊厳死」についての番組を見ました。尊厳死ってご存知ですか?10年程前医師が末期がんの患者を安楽死させたのが事件として起訴された事がきっかけで、「安楽死」の是非が一時期すごい勢いで取りざたされたので、覚えているという方もいらっしゃるだろうと思います。
「尊厳死」というのは、その「安楽死」の発展した形、と捉えても良さそうなものです。

戦前戦中に行われていたいわゆる「安楽死」と、戦後の「尊厳死」。どう違うのかというと、「当人の(死への)意思を確実に確認しているか否か」なんだそうです。本人の意思をきちんと尊重した上で、その人の死の権利を確立させる事が尊厳死に値するんだとか。現在は、「全日本尊厳死協会」というのもあるらしいです。

さて、末期がん患者に安楽死処置を施した医師・・・。この方は結果的には有罪判決を受けました。

なくなった患者は、自分が助からないことを知っており、自分の延命治療による苦しみに耐えかねて医師に「死にたい」「死なせてくれ」などと訴えていた。医師は、これ以上治療を続けても患者にとって辛い日々が続くだけだということを判っており、安楽死させるに到った。有罪になった決め手は、最終的な意思確認を再度本人に行わなかった事だったようです。

番組出演者の一人が、(この方は安楽死及び尊厳死反対の方でした)「まだ生き続ける事ができ、医師や親族が努力できることもあるのに故意に死なせるなど信じられない。患者の親族の気持ちはどうなるのだ?」と強く主張していました。

・・・・・こういう番組を見ると考えちゃいますよね。確かに「生きる権利」は尊重するべきもの。親族としても、1日でもいいから長生きして欲しいと望むでしょう。愛する人が消失するのはとても辛いことです。
じゃぁ、延命治療を望まず、苦しいだけの毎日に終止符を打ちたいと願う患者は、人生わずかな残りの日々を家族の為に苦しみ抜かなければならないのでしょうか?回復の見込みなど当になくなっていると判っていても。

自分のために生きるの?誰かのために生きるの?自分のために死ぬの?

それでは、体の病気と違って助かるのか助からないのかわかりにくい心の病の場合はどうなのか?
例えば、精神病で何十年も苦しみつづけて。通院も続けているけど回復の見込みは見えず、あまりの苦しみに耐えかねて自殺を図るとき・・・・。
そこに「死の権利」は存在可能なのかな?確立させる事は出来るのかな?
やっぱり、家族のために生存しつづけるべきなのか?
身体的な病気ではない以上、1日でも長く希望を探して苦しみに耐えつづけるべきなのか?

・・・・・以上のようなことを、僕は番組を見ながらぼんやりと考えていたのです。

僕は、つい最近まで死ぬことばかりを考えていました。
毎日がただ苦痛で、目標や望み、希望など全てが自分のの前から消えたと感じ、死んでなにも考えなくて済むようになることだけが自分への最後の救いだと信じていました。自殺しようとしたことも何度かあります。腹に包丁で切込みを入れ、出血させてから大量に睡眠薬を飲み、出血が止まらないよう風呂に浸かりました。意識がなくなる寸前に邪魔が入り、結局は失敗に終わったのですが・・・。
正直な話、最近長期旅行してあちこちのネット友達に会いに行ったのだって、死んでもいいと思っていた部分というのが割りと作用していました。家族やリアル友達に、「顔も見た事のない人に会いに行くのは不安じゃないか?」と何度となく心配されたけど、もし万が一、そのせいで何かの事件に巻き込まれたりして死んでも構わないと僕は思っていたから、全然平気だった。もちろん、自分が会いたいと前々から思っていた人に絞ったし、信用もしてたけど、「最悪の事態」というものが起きてもそれはそれでいいと思っていた。以前の僕だったら、散々迷った末に、やっぱり会いに行く勇気が出なかったかも。・・・元々が小心者なんです・・・。
だから、旅行が決まった時点で自分の服や書籍などは「いらなくなったから」などと理由をつけて何箱か実家に送り返していたし、本当にいらないだろうと思ったものは全部処分して、出発前日にはあらかたの片付けが終わっており、荷物の箱には万一に備えた遺書まで添えられている始末だった。
結果として、この旅行が僕に大きな「好転」を与えてくれたのだけれど。

復職した直後。丁度、エピソードの「退院直後」に書き記した頃には、自傷行為も少しだけしていました。
僕の場合は、自傷行為は自殺に繋がるものではなかったと思います。自傷行為は、死にたいからではなく、多くはストレスの発散であったり、無意識的な救難信号だったり・・・。そういうものだったんじゃないかなぁと思っています。
好きなことをしたり、リラックスしてストレスを発散させるということも、今思えば下手でしたね。今だって上手ではないんだけど。僕は、そうやって溜まるだけ溜まっていった衝動やむかつきを、自分にぶつけることで消化しようとしていたんです。職場で使うプラスのドライバーを自分の腕に刺していました。何度も、何度も。気が収まるまで・・・・・。
結局のところただの「やつあたり」であったためか、血が出るとホッとするとか嬉しくなるとかそういう気持ちも特にありませんでした。ただ、やるだけ。薬が上手く効いていたり、精神的に安定している時にはそういう行為もしなかったし、僕の状態が回復するに伴い、いつの間にか自傷はしなくなっていました。

今現在は、自殺しようとは思っていません。乗り越えなくてはならない辛い事はまだまだたくさんあるし、その先に自分の幸せがあるのかと言われると、それもわからないんですけれど。ただ、何もわからない「この先」には、寝てたっていずれたどり着くわけです。向かって行こうとも、ただ待っていようとも。なら、そこに着いてから死んでも別にいいか、と思えるようになったのです。
それと、友達。旅行に出て、親しい旧友に会ったり、自分の苦しみや悩みなどを話し合ってきたネットでの友達たちに実際に会えた事は、僕にとってとても大きな、意味のあることでした。いろんな所に行き、いろんなものを見て、いろんな人と会い、いろんな話をして。自分が今ここに立っていることを、やっと思い出せたような気がしました。

今は相方も隣にいてくれる。僕がどんな状態の時でも支えてくれる。そこに甘えすぎないように、自分の足で歩いていければそれでいいんじゃないかなと、思ったりするわけです。
未だに鬱でグダグダする事もあるしヤケを起こす事もあるけど、ちょっとずつ良くなってはいます。
もうちょっと。頑張っていきます。