実は、あまり覚えていなかったりします。この時期が僕が一番不安定だった時期です。 退院する直前に「自覚」が表れて、本当の意味での精神的混乱が起こる前に退院してしまったという所が 要因かと思います。 まず、恋人(現在の相方ではありません)との距離が離れました。心の距離です。 すれ違いが続いてお互い疲れ果てた結果だったのかもしれません。ゴタゴタしまくって、結局別れました。 それと、復職。これにものすごくてこずる結果になったわけです。 鬱が本格的になって入院してから、退院して普通に会社に通える様になるまで、丸一年かかりました。 僕の場合「自覚」に手間取ったため、皮肉な事に混乱期が訪れた時と復職期が重なってしまいました。 恋人との事、仕事に集中していかなくてはならない時なのに自分自身すら確立できなくなっている不安、 そしてなによりも、自分自身を見失ったことによる混乱。 誰かに支えて欲しいのに傍にいてもらえる人を見つけることができず、ひたすら内に籠っていきました。 そうしているうちに対人不安が始まり、仕事をこなすには薬が多く必要になってきて、 処方量をはるかに超える抗不安剤や睡眠導入剤を口にしていました。 そんな日がかなり続いていたある日。 目覚まし代わりの携帯の音で目を覚ました僕は、信じられない状況にありました。 目を開いたとき、そこにはグニャグニャに歪んだ光しかなかった。 自分が上を向いているのか横を向いているのかも判らず、 頭痛か吐き気か、何が何だか判らないけどとにかく苦しい。 「これ、やばいかも。」 その時かろうじて思ったことは、多分これだけ。後はもはや反射的に携帯を手探りで探し、どこかに電話。 しかも会社を休む事を誰かに伝えるためだったような気がします。(←そういう場合か。) いまだに誰に電話したのか判らないんですが、伝言は何とか会社に伝わっていたらしいので、 多分会社関係の人に電話できたんでしょう。 その後の事はよく覚えていません。多分、力尽きてそのまま寝ちゃったんだと思います。 病院に行った形跡はなく、どれくらい寝ていたのかも今となっては思い出せないし、すごく曖昧。 ただ、これをきっかけに「このままじゃ復帰する前に死ぬ」とかなり本気で思うようになり、 自分の計画方針を変更。それまでは内緒にしていた悪化著しい病状を上司にきちんと話す事にしました。 実状をとりあえず全部打ち明けてしまったら、気分的には少し楽になった様な気がしたものの、 結局それまでの疲労や緊張などが鬱を手土産に顔を出し、休みがちな日々はなかなか改善できませんでした。 何をしていたのかなぁ。何もしてなかったのかな。 ただ家に引きこもって水と薬だけで何日も過ごし、全く眠れず、 太陽が昇り始めると「会社に行かないと」と焦り始め、支度が済んでも玄関まで行って吐いてしまう。 頭痛、腹痛、吐き気に眩暈。今思い返してみるとまさにノイローゼ状態だったのかも。 早朝に会社の先輩に電話して、「もう殺してください」と言っちゃった事もありました(汗) 日々変化していく自分の病状や回復具合、「何に対して発作が起こるのか」という事等を 周りの人に正確に知ってもらう事は大変難しいです。 「もう元気ですから使ってください」ってこちらが言ってもあまり信用してはもらえないし、 自分自身、どうなれば完治したという事になるのか、基準がよくわかりません。 覚えてるのはこのくらいでしょうか・・・。まぁ、こんな時期もありました、ということで。(笑) |