僕の身体的性別及び戸籍は女性です。 しかしながら、精神的に男性よりな部分が多く見られるということで、 性同一性障害の可能性がある、と医師から言われています。 正確にはNS(ノンセクシュアル)ではないかとのお話でした。 NS。つまり、男性とも女性とも違う人間。逆に言えば、男性でも女性でもある人間。 僕の場合、ポジションとしては男性と女性の中間域にいると思われることから、 女性としても生きていける可能性が多分にあり、検査などはあえてしないで、 「あなたのやりたいようにやってみなさい」とだけ、アドバイスを受けました。 僕は物心ついた頃からずっと男になりたいと思っていた。 男の子のような格好、男の子のような遊びが好きだった。 でも、僕は自分の体が女性であると言う事をちゃんと理解していたし、 それが最優先の事実だと頭から信じていたから、 「自分が男である可能性」と言う点についてちゃんと考えた事はなかったし、 なぜ自分は男じゃないんだろうという思いはあったが、自分の性別そのものを疑った事はなかった。 だから、自分が男性のみならず女性にも恋愛感情を抱くと言う事に気が付いてから それを受け入れられるようになるまでにもずいぶん時間がかかった。 自分は変態なのかもしれないと思い込んで、すごく動揺していた。 「恋愛感情は(身体的)異性に働くものだ」という先入観が焦点をぼやけさせていたのかもしれない。 自分が女性に恋愛感情を抱いているのだとはっきり自覚したのは高校生の時。 思えばそれ以前にもそれらしい思い出はあるのだが、 今となってはそれが友情だったとも愛情だったとも判断できない。 よく考えてみれば、この頃からすでに自分の理性と感情が完全に違う方向をむいている事が解る。 そして。鬱をきっかけに精神科に通うようになり、 入退院を経験した後、カウンセリングで医師の話から性同一性障害について知る。 僕が生まれて初めて、自分の根本的な「性別」というものに疑いをかけた瞬間だった。 GIDNSの話を聞いて、今までわからなかった、理解できなかった「僕」の部分が、なんとなく見えた気がした。 「普通」でありたいと努力していた事が 知らないうちに自分の首を絞めていたということも。 男性として生活したいのか 女性として生活したいのか はっきりいってわからなかった。考えるほどにわからなくなっていった。 自分が100%女性だとは思っていなかった。 けど、男性であるとも言い切れないような気がした。 いくら考えても、性自認がはっきりしないのだ。 相方と出会ったのは丁度そんな時。相方はストレートの男性だった。 もともとバイセクシュアルだと自覚があった僕には、相方の性別自体は気になるものじゃなかったけど 当時はまだ男性化も考えていたから結構悩んだ。 このままでいいんだろうか。そんな不安が拭えなかった。 結局僕は相方と生きていくと決め、結婚した。 自動的に、女性として歩んでいく事にもなった。 不安がないわけじゃない。 相方が、無理に女性らしくする必要は無いと言ってくれているのが救いなのかもしれない。 ただ、僕が僕であればいい。そう言ってくれている。 僕が僕であること。 なるべく片意地張らず、まっすぐ歩いていけたら嬉しいと今は思っている。 |