12月30日
いよいよ年末も大詰めですね。今年もいろんな事がありました。たくさんの人に感謝しつつ、年越しをしたいと思います。明日から実家に帰る予定です。多分年明け早々に帰ってきちゃうと思いますが、しばし実家で大人しくしていようと思います。親戚が集まるのですごく嫌です・・・・・。(苦笑)

★アリソンのFF日記★
今日も昨日に引き続きテレポクエ。最後に残るはガルレージュ要塞に眠る女神像の塗料をゲットしてくるという仕事。これをクリアすれば晴れてテレポデムができるようになります。
要塞はすごく怖いところなので、隠密行動をすべく高レベルの白さん(昨日のお姉さま)と二人きりで乗り込みました。各自が姿を消す魔法や足音を消す魔法を駆使して、手分けして塗料を探し回りました。おかげで30分程で塗料ゲット。
やっと三国テレポ達成だー!!!o(≧▽≦)ノ
 12月29日
★アリソンのFF日記★
名声あげもかなり辛くなってきた今日この頃。何にもクエやってないサンドならまだしも、ちょこちょこクエやってたバスでこんなに苦労するってどういうこと?勘弁してください。(;_;)
なんて思いながらざくざくお仕事(クエ)やってたら、いつの間にか修道士さんのお目がねにかなっていたようで、やっとこテレポクエをゲット。あー。あとは要塞に行くだけだ!んじゃ、次はサンドだな・・・・(遠い目
というわけでサンドに飛びました。
サンドは結構楽だった。手当たりしだいクエストこなしていったらあっという間にテレポクエをゲット。やったね!思ったよりかなり早く到達したので喜んでいたら、フレが参加しているリンクシェルのお姉さまが手伝ってくれるというので速攻でグスゲンに行きました。敵に絡まれながらも奥の目的地に到達!うははは。これでおいらもテレポホラできるぜー!
 12月28日
お母さんと妹が来て、キムチ鍋をやった。かなりおいしかった。鍋っていいねぇ・・・・@^−^@

★アリソンのFF日記★
テレポ(瞬間移動魔法)をゲットするために各国の名声上げにいそしんでいます。今日もバスです。テレポは全部で5種類あるんですが、その中でも重要なのは主要三国に近い場所へ移動できるテレポメア、テレポホラ、テレポデム。バスの名声を上げてチャレンジできるのはテレポデムです。ウィンダスで受けられるテレポメアはすでにゲットしているので、あと急いで必要なのはデムとホラ。
バスって噂に聞いていたとおり、全然名声上がらない。 (;_;)つらいよー。でも、ロウハが手伝ってくれたおかげでかなり進んでいるのであとちょこっと・・・・(>_<) テレポがない白って、なんか「使えないやつ」って思われがち。最初はレベルかなり上がって強くなってから一人悠々と行こうと思っていたんだけど、これではレベル上げがままならないのでなんとかゲットしようと躍起になっています。明日も名声あげかぁ。(;_;)頑張ろう。
 12月27日
嫌な事何も考えなくて言いように、ひたすらFFをやっている。
レベルの上がりはいまいちだが、武器や魔法のスキルは格段に上がった。吟遊詩人はいい。強くなっていることが目に見えて解るジョブだ。強くなってる。進んでる。それが僕を安心させる。でも、そろそろ本格的に各地の名声を上げてテレポ取りしないとやばい。白魔道士のレベルが上げられない・・・ていうか役立たず扱いされてしまう(;_;)はぁ。
 12月26日
会社から「今日から年内いっぱいと正月休み分、休んで良い」と連絡があった。実質上の「会社側からの出勤拒否」だ。
有休だってもうないのに・・・・僕は言葉が出なかった
涙ももうでなかった
それでも柴犬から久々に電話があって、なんだかほっとした。柴犬は以前にも更に増して、心身共にますます男らしくりりしくなっているようだ。ちょっとした焦りみたいなものも感じたが、それより断然、柴犬の治療が進んでいることが嬉しかった。
頭が回らなくて誰かとしゃべるのが怖かったのが、嘘みたいに思えた。会話できてる。今日はそれでいい。柴犬もそう言ってくれた。
少し安心できた。
 12月25日
もともと休暇を取っていた日。午後から診察だったのだが、昨日の事もあり急遽午前中に変更になっていた。
が、昨日の点滴が残ったのか、朝全く動けなかったらしい。かすかに、病院にキャンセルの電話を母親に入れさせられた気がするのだが・・・・あまり覚えてない。横で心配そうに見ていたらしい母親の話によると、いつもの4倍くらいの速度でろれつも回らずたどたどしく話していたそうだ。
結局、「できたら夕方(病院に)いらっしゃい」ということになったらしく、僕は午後になって起こされた。
冷静だった。意識もはっきりしていた。
「焦らないように」「少しずつ回復している自分を認めてあげて」
ゆっくり念を押されるように、おだやかに言われた。
僕を認めていないのは僕なんだろうか?僕の周りではないんだろうか?
 12月24日。
メリークリスマス皆様。
おいらは今日朝から自殺願望バリバリで出社。しかも9;00出勤だったはずがいつの間にか11:00出勤に。もう誰にも鬱は止められないぞと言わんばかりでおいらの気持ちは沈み込んでいきました。
いよいよ仕事が始まろうという時、僕の限界は突破。倒れました。
もう意識もまばらでいくつかのことしか思い出せません。少しして僕の容態が落ち着いてきたら、部長が付き添ってくれていつもの病院に連れて行かれました。
僕は一般外来で予約外受付してたら何時に見てもらえるかわかったものじゃないし、今日は担当医が外来には来ない日で行っても会えないだろうということを知っていたので、まっすぐ救急受付に行きました。救急に行けば待たされることもそれほどではありません。っていうか、受付入り口でまた倒れちゃったので、即効で担架に載せられて病棟へ運び込まれた模様。外傷もないし、暴れてもいないのでそのまま放置されました。
どうにかなってしまいたかった。
生きようと懸命に命の綱を手繰り寄せようとしている救急に来る患者さんたちと死を求める僕はあまりにも違いすぎて、僕はすごく場違いな気持ちがしました。
「なんでここにいるんだろう」
なぜ病院にいるの?なぜ会社にいないの?なぜ僕はここまでして生きているの?
どうでもいい。死んでも、放置されても。
朝いつものドライバーで傷をつけたみみず腫れが妙に赤く見えました。所詮ドライバーは刃物ではないので血が出るほど切れません。でもそれでも僕はそうすることによっていくらか安定する。嫌いな自分を少しやっつけたような気になるのかもしれない。この前はひじの上くらいにやったから誰にもばれなかったけど、今度は手首だからばれちゃうかな。袖の長い服を当分着ていよう。

目の前に ナースコール用のケーブルがあった
触ってみると、意外に太くて頑丈だった
何も考えず
僕は僕の首を絞めた

すぐに苦しくなってきて、高等部が熱くなってきた。怖いと思うのと同時に、それが何を招くか判断できている冷静さもあった。最近読んだミステリー小説の死体解剖の説明文が頭をよぎって、「ああ、あれはこういう現象なのか」とぼんやりした頭が思った。苦しいというより、後頭部の痛み。これが絞殺される側が感じるの「こわさ」なんだろうなぁ。

「どうしたんですか?」

はっと我に返った
ベットのそばに看護婦が立っていた。すこし驚いた顔をしていた
僕は自分の首を絞めることに夢中になっていて気が付かなかった。

その後、セルシンを筋肉注射され、点滴を受けた。点滴の中身は何ですかと聞くと、なんだか曖昧な答えが返ってきた。僕は、その中身についておおよその見当がついていたので、それ以上は追求するのをやめた。

親が迎えに来ていた。会社から呼び出しを食らったのだそうだ。
父親は仕事を全部放り投げて病院まで来たらしい。作業着のままだった。
 12月23日
朝8:00になぜか起床。でもまだ眠かったので二度寝しましたw
次に目が覚めたのは夕方でした(爆)
夜に妹が来る予定だったので、それまでFFやって・・・・時間を繋いでいました。
感情の起伏が感じられなくて、面白いのかつまらないのか全くわからなかったけど、とりあえずやりました。「何かをやる」ということが、大事に思えたからです。例えたかがゲームだとしても・・・・。手を止めたら、何も出来なくなってうずくまってしまいそうで怖かった。
明日は仕事。会社に行くと思うと緊張してしまい目が冴えるけど・・・・何とか眠らなくては。
 12月22日
今日は一日中ぼんやりしていました。(;_;) 寝不足なのかなぁ。あまり良い睡眠が取れてないようです。
まぁ、今日はメンテナンスチームだったのでぼんやりでもなんとかなりました・・・。仕事してないなぁ。
家に帰ってきて、なんとなくFFを少しやって、なんだか疲れきったので寝ました。
 12月21日
今日は久々に素敵な日だった!朝会社に行くのは辛かったけど、僕の病気のことも知ってるディレクターさんだったので、正直に調子が悪いことと、それによって作業が遅れる可能性がある事を最初に話したら、合間合間に「そろそろ煙草がすいたくなってきたんじゃない?」などと声をかけてくれ、息抜きさせてくれた。おかげで作業は滞ることなく進み、いつもより順調かと思われるくらいだった。

仕事が終わり、意を決してデスクへ向かった。
Tさんという人がいる。
入社した当初から、僕のことを知ってくれている人で、Tさんが移動になったため一時期顔をあわせることも少なくなったが、戻ってきてからまたいつものように声をかけてきてくれていた。今は勤務作成デスクの仕事もやっている。
すでに僕が病気になったことは知っている人だった。僕はこの人に全部を話し、相談を持ちかけたいと考えていた。

話してみたところ、正直言って「壁がある」感じだった。でもそれはお互いが乗り越えようとしている壁なのかもしれない壁なのかもしれなかった。僕は色んな事を話したいと思い、話しきれなくて、このHPのアドレスをTさんに託した。

僕が望んでいるのは
こんな 何事もない 穏やかな日常なのだ
 12月20日
午後になって電話で目がさめた。
FFやろうっと。今日はミッション4を完遂するのだ!o(≧▽≦)ノ
ランク5になって、飛空挺に乗れるようになって、世界を駆け回るぞ!
ヴァナディールにもクリスマスツリーが町のあちこちに飾られ、にぎやかな雰囲気で気分も浮く。きれいだなぁ。
吟遊詩人も17歳になった。今は稼ぎにくいレベル帯だが、20歳になればジュノで一気にレベル上げが出来る。今はのんびり楽しもう。そして、いっぱい楽しんでリラックスして、明日の仕事には出勤するのだ。
 12月19日
久し振りに会社で倒れた。
編集室について、準備を始めてすぐだったらしい。気が付いたときには部屋のソファで寝かされていた。
もう何の感情もわいてこなかった。原因は予想がついていた。
Hさんが忙しいのに合間を縫ってお茶に誘ってくれ、話を聞いてくれたおかげでガス抜きが出来たのか、落ち着いている。
家に帰ってきてから、何かを吹っ切るようにFFをやりまくった。
レベルもスキルも上がった。
明け方になってようやく布団へ入った。ぐっすり眠れた
 12月18日
何とか外出した。会社へ行けた。薬ODして自殺しようと考えてる時よりずっと怖かった。
もちろん昨日はほぼ一睡もしていない。緊張と不安で目が冴えて眠れなかった。朝、家を出た時に妙に頭がすっきりして冷たい気がした。それが逆に怖かった。
それでも何とか仕事をこなし、退勤前に年末の都合で変更になった病院日程を話すためデスクへ行ったら
案の定 棘のあるお言葉を頂戴した
もう1日も休む事は許さんとでも言わんばかりだった 
まぁ確かに1週間近く休んだのだから小言くらい言われても仕方ない
でも 死ぬ気で頑張って むしろ死んだ方がマシだと思いながら頑張って やっと出せた結果がこれなのですか
あとどれだけ自分を削って涙を流せば あなたの考える「平均」にたどりつけるのですか
解った様な事を言っておいたあげくのあまりにも無配慮な発言
僕がどれだけ傷ついているか彼は露ほども知らない
そして僕がそれを訴えることも おそらくない 
彼には悪意がないのだから
 12月17日
休んじゃった(苦笑
でもその分明日は行かなくちゃという気にもなっている。
今日は幾分落ち着いている。昨日より冷静。昨日より安定。よしよし。このまま明日の朝を乗り切れば突破口が開けるかもしれない。眠れるかな。それだけが心配。
 12月16日
通院日。
思ったことを淡々と話して一息ついたところで、担当医に「業務連絡を聞いているようですね」と言われた。思わず自分で苦笑した。
実際、何を話していいかわからなかった。どんなことを話せば治療になるのか。意味があるのか。僕には判らなかった。答えを先生に求めていた。そんな自分を、「(先生に対する)依存かな・・・」と分析していた。

部屋に帰ってきたら、ほんのわずかだが昨日焚いたお香の香りがした。
最近また、寝る前にお香を焚くようになった。気分転換になれば良いと店で見つけては買ってきている。効果があるのかどうかはよく解らないが、何も努力しないよりはマシに思えた。

新しいお香に火を灯した
手で火を払い消す
煙が立ち昇り、気に入っているお香の香りが強く感じられた

明日から仕事に行かなくては。年末も折り返し地点に来ている。なんとかしなくては。
 12月15日
重たい体をベットから引き剥がすことが出来たのは午後になってからだった
シャワーを浴びて一通り身なりをそろえ、軽い食事を取った。
良く晴れていて暖かい事が随分僕を救ってくれているようで、ぎこちない形になっている僕の気持ちがほんのちょっとまるくなる。まだ頭はぼんやりしていた。
 12月14日
この1週間はほとんど会社に行かないも同然な形になりそうだ。休みだった昨日を入れて、今日の欠勤と明後日の休日。僕はデスクに明日も休ませて欲しいと連絡を入れた。昨日の夜はハルシオンの副作用でバットトリップをしたらしく、夢なのか現実なのかわからないまま恐怖の中にいた(処方量は守っていた)。少しまとまった休みを取って、何とか気持ちを立て直さなくてはどこにもいけない気がした。
天気が良かったので洗濯をしてみた。あとは眠っていた。
 12月13日
ここ1ヶ月にもなろうか。僕は膠着状態にある。悪い一方で良い兆しがない。
担当医との話し合いも膠着状態。先生が僕に対してどう思い、何を考えているのか僕には判断できないでいる。
そして、僕は僕が何を求めているのか、僕がどうすれば良いのかをすべて見失っている。
先生はそれを僕に自分で考える様促すために、口を開かないのかもしれない。
自分で考えられなくなってはいけないのだ
誰かの指示を常に待つようになってしまうから
それだけは
わかっているつもりだ
 12月12日
何とか会社に行った。今日もI見さんが相方の筈だったのが、いつの間にかT沢さんになっていて少し焦った。
僕は薬の兼ね合いも合ってかなりうつろだった。意識がはっきりしなくて苛立ち、何回か自分の腕を爪で強く引っ掻いた。べテランT沢さんのリードがうまかったのと、ごく軽い仕事の内容が幸いして、15時には終わってしまった。

会社のどこにいて良いか判らなかった。

T沢さんに引きつりながら何とか作った笑顔で「お疲れ様でした」といったのが精一杯だった。
一目散に会社を抜け出し、いつもお世話になっている針士さん(針、お灸などをしてくれる先生)のところへ駆け込んだ。
薬をまたたくさん飲んでしまった話をし、脈を取ってもらうと、
「気の流れが悪いね」
と渋い顔をされた。(苦笑)

その日はいつもより長く、丁寧に治療してもらった。いつの間にかてんぱっていて張り詰めた体から力が抜けて楽になっていた。朦朧としていた目も、頭痛も、吐き気も、泣き出しそうな気持ちも、どこか角をなくして落ち着いた。

勇気を出して局に戻ってみた。
だれも僕が抜け出したことなど知らないようだったのですこしほっとした。
社員食堂で簡単な食事を取り、帰宅可能時間になるとすぐ、逃げるように局を後にした。
 12月11日
とても仕事にいける状態じゃなかった
会社に電話を入れて休ませて貰った。相方はI見さんだったのに・・・。
I見さんは、最近よくお世話におなっている職場の相方さんだ。リードしつつ見守ってくれるので安心して仕事に集中できる。今の僕には一番ありがたい存在だ。
それでも仕事にはいけなかった。外に出るのが怖かった。誰かと話をするのが怖かった。
 12月10日
仕事。すごく緊張していた。一昨日のことが思い起こされて仕方なかった。
今日はデスクの計らいで午後出勤になっていた。それもとてもありがたいと思った。
でも失敗した。僕は自分の予想以上にてんぱっていた。一瞬判断力をなくした僕に 相方が焦れた。
泣き叫んでしまいたかった
 12月9日
定休日。助かった・・・としか言いようが無い。多分半日以上寝ていたんだと思う。薬の副作用で記憶があまり無い。吐き気がすごくて苦しんでいた。
なんとか病院には行った。怒られるのは覚悟の上で全部正直に話した。隠すのは簡単だ。でも担当医にまで嘘をついて病状を隠してどうする?僕は怒られるべきだったのだ。
もちろん怒られて凹んだ。解っていても凹む。救いも無い。でも当然だ。先生は怒らなくてはならない立場の人なのだから。解っていて凹むのだ。うつろなまま家に帰った。悲しさとむなしさだけが心に残った。
 12月8日
仕事中に動けなくなった
指先1本動かせなかった
「動かなきゃ」
そう思い焦りながら 僕の体は編集機に突っ伏したままだった
遠くでディレクターさんの声が聞こえた

その日は結局違う人に仕事を引き継いでもらい、早退することになった
僕は自己嫌悪でいっぱいで今にも泣き叫びそうだった
本当に泣いていたかも知れない
会社から出てすぐの陸上競技場の片隅 僕は鞄から薬の入ったポーチを取り出してひっくりかえした

全部飲んだ

多分40錠ほどだろう。30錠までは数えていた
人がいないのをいい事に大声で泣いた
込み上げてくるものを吐き出すように泣いた
何より自分が情けなかった
2003年12月