生まれて初めてPD発作を起こしたのは、実は高校1年生の時です。 勿論当時はそれがPD(パニック障害)の発作だと知る由もなく、 肺などの呼吸器関連か、脳(癲癇など)の疾患ではないかと言われ、あちこちの病院に検査に行きました。 当然、どこにも異常は発見されず、当時は発作の回数もそう多くなかったため、 最後は「原因不明」のままお蔵入りになりました。 高校一年生の夏休み。僕は部活内でいわゆる「いじめ」にあっていました。 演劇部に所属していたんですが、たまたま一年生の中で僕一人だけ、役がついちゃったんです。 切っ掛けはどうやらそれ。先輩が熱心に指導してくれた事もまた他の一年生には腹立たしかったようで、 いじめは段々にエスカレートしていき、悩むようになります。 実際に発作が起きたのは夏の合宿中です。 蒸し風呂のような体育館。音響と照明の加減を見るために窓も暗幕も締め切っていて、 息苦しさまで感じるような稽古でした。 そうしているうちに、だんだん息が吸えなくなってきたんです。 「これはやばいかも」と思って外の空気を吸おうとしたんですが、 その時には既に自力でドアが開けられない程になっていました。 覚えているのは、傍にいた人にお願いしてドアを開けてもらったところまで。 外へ身を投げ出してすぐに過呼吸(呼吸困難の一種です)を起こし、そのまま意識消失。 僕はタンカで学校の宿泊所まで運ばれたそうで、気が付いたときにはもう夜になっていました。 |
結局引退するまでいじめは続きました。僕も部活動は辞めませんでした。 もちろん、一年生の秋、大会が終わって一段落ついた時には辞めようかと随分悩みました。 でも結局、僕はお芝居がしたかったので辞めなかった。 部活の同期生は、あくまでもお芝居をする時のメンツ。そう割り切る事にしたんですね。 僕は友達を作りたくて演劇部に入ったわけではなかったから。 クラスや、当時助っ人を頼まれて掛け持ちしていた他の部活には仲のいい友達がたくさんいたし、 一年生の後期から生徒会の役員も勤めていました。 居場所が全くないわけではなかったし、そういう意味では救いもあったということです。 演劇は今でも好きです。高校卒業後仲間と立ち上げた劇団の活動も楽しかったし、 その時の仲間とは、解散した今でもたまに遊びます。 |