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二千二年弐月
02/2/28Thu《Eclectic》
では、小沢健二の4thニューアルバム《Eclectic》の感想を・・・
1st《犬は吠えるがキャラバンは進む》(後にDOGSと改名)はそれまでの流れ(フリッパーズ時代)を汲みながらも叙情的な詩が心を打つ大傑作。
2nd《LIFE》はそれまでとは打って変わってポジティブ&ハイテンション!でヒット曲を大連発!(個人的にはどうしたの!?という感じでしたが・・・)一躍トップアーティストとなり、《オザケン》、《王子様》などと呼ばれるようになる。ファンの女の子を《子猫ちゃん》と呼んだりしていた(勿論ミッチー及川が《ベイベー》と呼ぶようになったのもその後である)
3rd《球体が奏でる音楽》では思いっきりジャズ路線。こちらは一般的にセールスは前作ほどではなかったものの、新機軸を打ち出したアプローチに小沢健二の才能を垣間見る。
・・・・でそれから5年後・・・・今回の《Eclectic》であるが、ニューヨークでの音楽ムーブメントにインスパイアされたブラックミュージック色の強い楽曲に仕上がっている。特に小沢特有のウィスパー(?)ヴォイスと折り重なるコーラスがとても心地よい!しっとりとしたアレンジも以前の《ラブリー!》を歌っていた頃の雰囲気は微塵も無い。
33歳という(奇しくも自分と同い年、小山田もね)等身大の大人の雰囲気に仕上がっている。そういった成熟を窺い知れるのは、アルバムに収録されている《今夜はブギーバッグ/あの大きな心》を聴くとつかめるのではなかろうか。
かつてスチャダラパーとのコラボで大ヒットした《今夜はブギーバッグ》のカバーなのだが、詩も楽曲も大幅にアレンジが加えられている。カバーというよりむしろ自分自身に対するアンサーソングに近い。
天才小沢健二の作り出す作品はどれも奥が深い。これほどまでに文学的な詩はそこいらへんのアーティストもどきには決して真似できるものではない。本人は引き合いに出されることを嫌がるであろうが、ベクトルは違えど小山田と小沢はやはり孤高の存在である。いや、あってほしいのだ!だから5年の活動休止も許せるのだろう。
さぁ、この春は小沢健二のアルバムを聴きながら、夜のドライブデートでも楽しもうではないか。絶対ハマります!
02/2/27Wed accessのように再結成・・・・あるわけ無いか!
小沢健二のニューアルバムが発売された!タイトルは《Eclectic》取捨選択、折衷主義の・・・という意味。
前作《球体の奏でる音楽》からもはや5年が経過している・・・・・どういうこと!?なんでもニューヨークで音楽活動していたとのことだが・・・。
早速購入!で・・・・まだ聴いていません。聴くひまが無かったので。
しかしコーネリアス小山田といい、小沢といい、仕事する気あるのか!?・・・ま、こうやってアルバムを出してくれたのだから有難く聴くとしよう。
明日は寸評を・・・。
そうそう、新型マーチのCM音楽がフリッパーズ・ギターの《恋とマシンガン》だった!!インストゥルメンタルでしたが、ファンとしてはとても懐かしくもあり、嬉しかったりするのだ!!!いい曲ってことなのね。
02/2/20Wed 金曜10時はこれ!
実家に戻ったものの、なにやら落ち着かない。
幼少時代から住み慣れた自分の部屋に、これまでの生活用品が所狭しと並び、自分の部屋とはいえ、かつての面影は無い。
共に使っていたテレビや本棚もあり、そういったものがつい先日までの生活を思い出させるのだろう。そう簡単には忘れさせてはくれないらしい。
・・・とまぁ、先日以来こんなことばっかり書いているので、読まれている方もしんどいはず。さぁ、これからはいつものノリで頑張ります!ちょっとカラ元気気味なのはご了承ください。
久しぶりにドラマの話を。今、どっぷりハマっているのがTBS系《木更津キャッツアイ》なのだ。
昨今のTBSでは《I.W.G.P(池袋ウエストゲートパーク)》《ハンドク》路線のドラマで相変わらずのセンスの良さが光る。出演者も個性派揃いで特に薬師丸ひろこ演じる先生がなんともシュール!
先週は相川翔が相川翔役で出演したりと、今クールでは群を抜いています!!モー子最高!!!(←酒井若菜)
後はどのドラマもどんぐりでしょうか?《人にやさしく》は×・・・。
ま、次点としてはフジテレビ系《ロング・ラブレター漂流教室》でしょうか?しかし年端もいかないアイドルでは設定の緊迫感が演じきれていないのが残念。窪塚洋介もキムタクや田村正和と一緒でどのドラマも演じ方が一緒。あれでいいのだろうか?個性といえば個性だが・・・。
02/2/16Sat 本当の自分探し《後編》
いろいろな出来事があったが、自分なりに落ち着いてきた。実感は湧かないものの、頭の中で冷静に分析も出来るようになってきた。
嵐のような3週間で体力的にかなり消耗したがそれも大分回復してきた。まだまだ残務は残っているがそれもあと数日で終わりを告げる。
先日、姓名判断をしているお母さんを持つ同級生に話を聞いた。どうやら今の自分は節分までが後厄だったそうだ。その話の中で更に何月何日が厄の日で・・・などの日も教えていただいたのだが、そういった日取りにこれまでの全ての出来事が当てはまっていた。それはそれは不思議なくらいに・・・。
無論、それらが人生の全てとは思ってはいない、が、そういうことも信じてはいるし、あることだとも思う。実際どの親も自分の子供の名前を姓名判断で考えたりするだろう。かくいう自分の親も「いい名前だ!」ということでつけたらしい。そのおかげか?それほど苦労という苦労はしていない。むしろ幸せな人生だといえる。
厄の境でもある節分も過ぎ、それ以降、自分を取り巻く環境も、そして自分の意識も微かにではあるが好転の兆しが見えてきた。実際はそれほど変わっていないのかもしれない。例えそうであっても、よくなるよくなる・・・と自己暗示をかけ、ポジティブに生きよう。それこそが自分を、取り巻く環境さえも変えていくことなのだろう。その中にきっと《本当の自分》が隠されているに違いない。
・・・さて、この日記もわたくしのお引越しの為、20日くらいまでお休みです。引越し完了してから再開いたします。こんなつまらない日記でも読んでくださっている方々、これからもより一層BOBAを可愛がってくださいな!
02/2/15Fri 本当の自分探し《前編》
さて、久しぶりに何を書こうか・・・・。
この日記も書き始めてから既に3年以上経過している。
今こうして一人になって思うのは、自分にとって二人で生きるということは楽しいことも辛いことも半分だということだった。きっと子供がいればまた違った解釈が出来たであろうが、生憎というか幸いというか子供を作らなかった。出来なかったではない、作らなかったのだ。
そこには生活の心配というのもあったが、きっとそれだけではなかったように思う。
「果たして上手く育てられるのか?」「本当に必要なのか?」とあらぬ想像を抱いていたのも事実。もしかしたら出来ちゃった結婚のほうが覚悟が出来てかえって良かったのかもしれない。
やはりこの(かなり)奔放な性格が災いしていたのだろう。そういう人間は誰かの形にはまれないのかもしれない。几帳面な人間には恐らく許せない何かがあるのだと思う。
人間には3つの自分があるという。1つ目は自分が知る自分。2つ目は他人が知る自分。そして3つ目は本当の自分・・・。
果たして自分はこの先、本当の自分を見つけられるのだろうか・・・・。
02/2/9Sat 幸せのカテゴリー《Mr.Children》
通り過ぎる愛の言葉
唇を重ねたって 孤独な風
胸を吹き抜ける

出会った日の弾む鼓動は
日常と言う名のフリーザーの中で
とうに凍りついている

"夢のような毎日が 手を伸ばせばそこに立ってる"
そんなふうに自分に 言い聞かせて過ごしたけど

傷つく事 傷つける事が
互いになんとなく面倒くさかっただけ
形式(かたち)だけに目を奪われて
ただスマートに納まってようとした二人
今となっては
消えゆく幸せのCategory

誰かの忠告も聞かず
不吉な占いを笑い飛ばしていた
まだ無防備だった頃

限りなく全てが 上手くいっているように思ってた
幸せってあまりに もろく儚いものなんだね

日のあたる場所に続く道
違う誰かと歩き出せばいいさ
恋人同士ではなくなったら
君のいいとこばかり思い出すのかな?
当分はそうだろう
でも君といるのは懲り懲り

本当の自分なんて 何処にもいないような気がしてる
だからこそ僕らは その身代わりを探すんだね
恋の旅路は続くんだね

もう何も 望みはしないけど
最近はちょっぴり解りかけてるんだ
愛し方って もっと自由なもんだよ
君もいつしかその事に気付くのだろう
じゃあ その日まで
さよなら幸せのCategory
02/2/2Sat ぼくたちの失敗
さて、何から話そうか・・・・。そもそもここに書いてもいいのか正直迷っている。自分の身の上に重大な事件が起こった・・・。

♪育ってきた環境が違うから、価値観(の相違)は否めない・・・山崎まさよしの《セロリ》の最初の歌詞だ。そこを補いながら協力していくのが2人の使命である。パズルのピースみたく最初からピッタリとはまる人たちなんているはずが無い。
頭の中では誰しもが当然のようにわかっていること。はまらないからといって無理にねじ込むとどちらかのピースがゆがんだり、ちぎれたりする。しかし人の心は幸いにもパズルのピースのように最初から決まった形ではない。その人の心の持ちようでそのピースは姿かたちを変えてゆくことが出来る。お互いがゆっくり形を変え、ゆっくりとはまっていくものだと思う。その形を変えるのは決して容易なことではない。それでも無理にはめ込んで日々を暮す・・・。そこには窮屈な部分に加え、隙間の開いた部分も存在する。そう、それぞれのピースは形を変えられなかったのだ。

きっと最初からこの二つのピースは違う種類のパズルだったのでしょう。あるいはどちらかが片方の入る余地の無い、完成されたパズルだったのでしょう。改めて2つのピースが切磋琢磨し、1つの形になっていくことの難しさを痛感いたしました。しかしながらすべては私自身の不徳の致すところだと思っています。
いつもここを読んでくださっている、私に関わる全ての人々へ・・・・・。私同様、これまでもう一方のピースを暖かく見守ってくれて心からサンキュ!!もう二つのピースとして登場することは無くなります。そしてこれから、こちらに残るピースに対し、変に気を使うことなく、ギャグで迎えてやってくださいな!・・・・というわけで日記もちょっと小休止。
今度ここでお目にかかる時には、きっと晴れやかで、今以上にパワーアップしたピースになって帰ってきますね!!