邦題「アイ・アム・サム 」
原題「I am Sam 」
2002/6/24@MOVIX倉敷
評者 |
評価 |
ひとこと |
ほーく |
3 |
やはり、演技は一級品ですなあ |
<コメント> |
注目はやはり、ショーン・ペンの演技である。毎度のことながら彼の表現力には脱帽する。 ミシェル・ファイファーも好演。また、助演陣も安定した演技を披露している。 誰もが認めるであろう、ルーシーちゃんは実にキュートで芯が強い。 今でもよく街角で耳にする、ビートルズ・ナンバーをカバーしたミュージシャンたちの歌声は実に心をせつなくさせる。 ただ、問題が一点。これはあくまでもサム個人と娘ルーシーの、サムの周囲の人々の愛情に係るドラマであって、それらがサムが障害者であることに起因するのではないことに留意すべきである。パンフレットでも触れられていたのだが、「聖なる愚者」としてサムを偶像化することは危険なことなのである。 サムがルーシーを愛していて、ルーシーがサムを思いやるのは、サムが「知的障害者」だからであり、「知的障害者」であるからこそ、あの純粋さがあり、感動するのだ、とカン違いしてはいけないということなのである。 公式サイト(Production Notes参照)でも分かるとおり、脚本作りの段階から「L.A.GOAL」という慈善事業団体に協力を得ている。サムの友人役のブラッドとジョーは、実際に障害を持っている人物である。、ショーン・ペンも役作りのために、彼らとの親交を深め、彼らと積極的に接している。その成果は、一目瞭然である。 そこで、もう一度振りかえろう。サムは何故、あんなに周囲に愛されたのか?サムとルーシーの関係に、温かみを感じたのはどうしてか?リタとサムとの感情のぶつかりあいに引き込まれたのは何故か?一番大事なところは、サムの「障害」には向けられていないのである。もちろん、背景には、現代アメリカ社会での、障害者を取り巻く問題が提起されている。もっとも大きい問題は、ソーシャル・ワーカーであり、これは障害者のみに限った問題ではない。ただし、それもあくまでも背景に過ぎない。 だからこそ、安易に感動することは危険なのである。 |
主演 | ショーン・ペン@サム、ダコタ・ファニング@ルーシー |
共演 | ミシェル・ファイファー@リタ(弁護士)、ダイアン・ウィースト@アニー(隣人)、ダグ・ハッチソン@イフティ(友人)、スタンリー・デサンティス@ロバート(友人)、ブラッド・アラン・シルヴァーマン@ブラッド(友人)、ジョセフ・ローセンバーグ@ジョー(友人)、リチャード・シフ@ターナー(検察)、ローラ・ダーン@ランディ(ルーシーの里親)、ロレッタ・ディヴァイン@ソーシャルワーカー |
監督 | ジェシー・ネルソン |
脚本 | ジェシーネルソン、クリスティン・ジョンソン |
衣装 | スージー・デサント |
美術監督 | アーロン・オズボーン |
撮影監督 | エリオット・デイヴィス |
音楽 | ジョン・パウエル |
編集 | リチャード・チュウ.A.C.E |
OST | 購入済み。お薦め度4 |
2001年作品 | 133分 |
参考URL | http://www.iamsam.jp/ |