○前書き


 兎園会は文政八年(西暦1826年)滝沢馬琴、山崎美成らの発意により、同好の志を集って毎月一回互いに奇事異聞を披露し合うという形で行われました。会は同年正月に海棠庵から始まり、同年十二月の著作堂での集会を最後に、各回回り持ちで行われました。
 この会合に正員として参加したのは12人です。(客員が他に2名)

著作堂  曲亭(滝沢)馬琴
好問堂  山崎美成
庵  関思亮
輪池堂  屋代弘賢
松蘿舘  西原好和
麻布学究 大郷良則
竜珠館  桑山修理
文宝堂  亀屋久右衛門
ケン園  荻生維則
遯斎   清水正徳
乾斎   中井豊民
琴嶺   滝沢興継

 滝沢(曲亭)馬琴はいわずと知れた「南総里見八犬伝」の著者です。この著作は二十八年かかって書かれた壮大な伝奇物語です。この馬琴は生来狷介で神経質な性で、晩年は経済的にも恵まれず、しかも盲目となり嫁のお路に文字を教えながら(!)口述筆記をしてこの壮大な物語を完結させたという執念の人でもあります。また不肖(?)の息子の琴嶺の立身にも心を砕いていたようですが、結局は先立たれ、家庭的には恵まれなかったのも有名な話です。この兎園会でも息子の琴嶺が名を連ねていますが、彼が書いたところは馬琴が代筆していたとかいないとか。

 兎園会のメンバーで他に有名なところでは山崎美成屋代弘賢でしょう。
 江戸後期の考証学者として名を成した山崎美成は、その考証学の成果である「海録」の著者として知られています。馬琴とはこの兎園会で文学上の論争(口論?)より交わりを絶ったとか。
屋代弘賢はわが国初の本格的官撰百科事典である「古今要覧塙」の編者として高名な国学者です。これは580巻からなる大著ですが、彼の死亡により未完におわりました。本来は1000巻を目標にしていたということです。
山崎美成の「海録」も18年間にわたって書き綴られたというし、江戸の学者・文人は気が長いというか執念深いというか・・ただただ頭が下がります。
 他のメンバーについてはこの書を明治になって世に出した如電大槻修二の簡単な紹介がありますが、各自のバックボーンなどさっぱりわからないのでここでは割愛します。


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