夢の朝顔


湯島手代町に岡田弥八郎といひて、御普請方の出方をつとむる人あり。
此人のひとり娘、名をせいとよびて、容儀もよく殊に発明なれば、両親のいつくしみふかく、しかも和歌に心をよせ、下谷辺りに白蓉斎といふ歌よみの弟子となりて、去年十四歳にて朝がほのうたをよみしが、よくととのひたりと師もよろこびける。その歌、

いかならん色にさくかとあくる夜をまつのとぼその朝顔の花

其冬此むすめ、風のここちにわづらひしが、ついにはかなく成りにけり。両親のなげきいふべくもあらず。
朝夕ただ此娘の事のみいひくらししが、月日はかなくたちて、ことし亥の秋、かの娘の日頃よなれし文庫の中より、朝顔の種出でたり。一色づつこれはしぼり、あるはるりなど、娘の手して書き付け置きたるつつみをみて、母親猶更思ひ出て、かく迄しるし置きたる事なれば、庭にまきて娘のこころざしをもはらさんとて、ちいさなる鉢に種を蒔きて、朝夕水そそぎなどしたるほどに、いつしか葉も出で蔓も出でたれど、花は一りんもさかざりければ、すこし時刻おくれにまきたるゆゑ、花のさかぬ成るべし。されども秋に、秋草のさかぬ事やはとて、さまざまにやしなひしが、さらに花の莟だになし。
ある日、父弥八郎は東えい山の御普請場へ出でたるあと、母は娘がことのみわすれかね、朝顔を思ひながら、うつらうつらとねむりたるが、娘の声にて、おかかさま花が咲きましたといふに驚きさめぬ、あまりいぶかしく思ひければ、朝顔のそばへゆきみれば、一りんさき出でたり。いよいよあやしと思ひて、夫弥八郎が帰るを待ちかねて、此よしをもかたり、花をも見せしよし、此はな、昼夜にさきて翌朝までしぼまずしてありとなん。

右は文化十二亥年の事なり。花のさきしは翌子年なり。
文宝堂しるす。