本名:滝沢興邦(たきざわおきくに)、のち解(とく)
通称:左七郎、瑣(左)吉(さきつ)、清右衛門
号:著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)、蓑笠漁隠(さりつぎょいん)など多数
年号 | 西暦 | 年齢 | 事項 |
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明和四 | 1767 | 1 | 六月九日、深川海辺橋東、松平鍋五郎邸内に生まれる。 |
天明元 | 1781 | 15 | 元服して、興邦と名乗る。 |
寛政二 | 1790 | 24 | 秋、山東京伝を訪れ、入門を乞う。 |
寛政三 | 1791 | 25 | 正月、処女作『尽用而二分狂言(つかいはたしてにぶきょうげん)』刊行。 |
寛政五 | 1793 | 27 | 七月下旬、会田氏お百と結婚し、元飯田町中坂下に家を構える。 |
寛政八 | 1796 | 30 | 正月、中本読本『高尾船字文』刊行。 |
寛政九 | 1797 | 31 | 十二月七日、長男鎮五郎生まれる。後の宗伯。 |
享和二 | 1802 | 36 | 五月九日、京阪に出発。八月二十四日、江戸に帰る。 |
文化四 | 1808 | 41 | 正月、『椿説弓張月』前編刊行。 |
文化十一 | 1814 | 48 | 十一月、『南総里見八犬伝』初編刊行。 |
文政十二 | 1829 | 63 | 正月、『近世説美少年録』初輯刊行。 |
天保四 | 1833 | 67 | 秋、右目見えず。 |
天保六 | 1835 | 69 | 五月八日、宗伯没す。三十八歳。 |
天保十二 | 1841 | 75 | 正月六日、『八犬伝』第百七七回を、お路が口述筆記。 |
天保十三 | 1842 | 76 | 正月、『八犬伝』最終部刊行、完結す。 |
弘化二 | 1845 | 79 | 正月、『新局玉石童子訓』初帙刊行。 |
嘉永元 | 1848 | 82 | 十一月六日、暁寅の刻、臨終。 |