館長通信 
 

館長通信第1回

〜突然のリニューアル、その言い訳について〜(02/03/23)


オレも無理に薦めるのは、もうかったりィんだ。
こっちは勝手にやってるから、馬琴作品の中でオマエ達の喜びそうな話を見つけたら、適当に読んでくれ。
(元ネタ:「殺し屋イチ」7巻, 山本英夫, 小学館)

 要するに、こういうことなのである。
 私が少ない知識を掘り起こし、サイト「馬琴衒学館」を池田市のサーバに立ち上げたのは、1997年12月1日のことであった。その頃の私は大学入りたて、インターネット始めたてで、今と比べてもずいぶん若かったから、「椿説弓張月」「近世説美少年録」を中心としたデータベース構築・評論活動などによって、世間に馬琴作品の素晴らしさを啓蒙し、インターネット上の馬琴ファンの盟主にならんと、それなりに本気で思っていた。
 ところが数年たって、その考えに変化が現れた。馬琴作品が面白いと思っていることには変わりない。ただ啓蒙などという大それたことをするには、自分の知識があまりにも浅いことに気付いて、また(これが大事なことだが)それを埋めようと努力することに飽きてしまったのである。
 他の八犬伝系サイトを見ていただければわかるように、作品について評論を行うためには、その作品だけでなく周辺の知識も必要である。例えば八犬伝なら仏教の知識、中国古典の知識、また同時代の文学者の作品なども読む必要があろう。いっぽうデータベースを構築するためには、その作品について楽しむ以外の、なんらかのルールを決めた上での地道な作業が必要になろう。しかし過去の私が「衒学館」でやってきた評論・データベース構築は、そのどちらもまともにできていなかった。所詮は井の中の蛙だった。そして今の私は、そのことをきっちりやるために資料につきっきりになる時間があったら、ゲームをやったりマンガを読んだりするほうが、ずっと幸せだと思うようになったのである。
 このあたりはもう努力というより、研究者としての才能の問題である。ろくな議論もなしに、自分の妄想だけで突拍子もなく突っ走ってしまうのは、現代用語で電波と呼ばれる行為である。そして私はそちら側の人間だ。すでに「高校野球八犬士」にその萌芽があったように、ゲームやマンガの影響を多大に受けながら好き勝手やっていく方が、どう考えても私に向いているのである。
 そして、別にそれでもいいんじゃないか、と思うようにもなった。馬琴読者にはいろいろいて、データベースを作ってる人も評論をしてる人もいるのだから、別に電波系の人間がいたって構わない、むしろ頭の悪い人が一人くらい混ざっていた方が、入門者の方にとっては安心できるのじゃないかと、そう思うようになったのである。そしてそのためには、過去の変に気負ったり気取ったりしていた部分、とくに「衒学館」などといういかにも最上段に構えたサイト名などが、非常に邪魔になってきたのである。
 このあたりの過去と現在の意識の齟齬については、すでに去年あたりから苦しみ始めていた。また改革しようと思えば、BIGLOBEへのサイト移転という最大のチャンスもあった。しかしながら過去の邪魔な自分も、大事なひとりの自分である。いくら中途半端なことをやってたといっても、「弓張月」「美少年録」のデータベースなんかは、今の自分にとってもそこそこ役に立つ。また他に紹介しているサイトもないのだから、参考にしてくれる人だってまだまだいて、これを突然閉鎖するのでは迷惑がかかってしまう。結局そんな理由で、抜本的な改革が何もなされないまま、ずるずると今まで「衒学館」を続けてきたのだった。
 しかしながら、このままウジウジしていたのでは、いつまでたっても小手先の改革しかできない。そのため、今回はクーデター的に、旧弊を引きずる名前である「衒学」を廃し、過去の自分との決別を宣言することにした。しかし過去のデータが必要な人にも配慮し、過去の情報はすべて旧館にそのままの形で残し、ただし今後は旧館のデータに対する内容の新鮮さおよび正確さは保証しないとすることにした。そして旧館の中でも新鮮さを得た情報、現在の自分に合致している内容については、今後徐々に新館へと移転させていくことにした。
 ともかく今回の改革は、クーデター的にして非常に暫定的なものである。新しいサイト名についてもまだ正確に決定していない。しかしこうやって形から入らないと、いつまでたっても現在の自分と過去の自分の齟齬に悩むばかりである。利用されている方には不便をおかけするが、私が正直なサイト運営をできるようになるまで、なんとか我慢していただきたいと思う。

今回の改革概要


2002年3月24日 えぬ




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