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音楽遺産
#03 「OUT OF CRY」/LISA(1993年)
(2001年5月7日。2006年12月30日、解説追加)

ジャケット写真。クラブ・シーンの歌姫として20世紀末に大きく羽ばたいた
レコード会社:徳間ジャパン
発売日:1993年2月25日



基本は高く、理想は強く

 世界中から様々な音楽の流行が集まる街、東京。そこには成功を夢見る多くの人々が集まる。LiSAもそのうちの一人だった。本名、エリザベス・サクラ・成田。1974年10月26日に東京で生まれた彼女は、日本人の父、そしてコロンビア人の母を両親に持ち、ハワイ在住の経験もあったらしい。

 彼女が歌手デビューを志すようになったのは、ハイスクールで2年生の頃からだという。その後知人の紹介で最初の事務所に所属、レコーディングを経てこの曲がコマーシャルで使われることとなり、デビューを飾った。18歳のときである。
 『OUT OF〜』はどこか懐かしさを感じさせるサウンドの中に、前へ進む強さを感じさせる詞を澄んだヴォーカルで歌っている。それが評価されてNACK5『ジャパニーズ・ドリーム』の1993年2月度チャートで6位に入ったくらいだ(『ジャパニーズ〜』はいい曲かどうかを判断基準に、リスナー投票で局のランキングを決める番組で、1992年から2006年まで放送されていた)。一方で彼女の(この時の)名前の表記にも先駆的センスを感じさせる。“LiSA”の“i”だけが小文字になっており、あのiMacやiモードよりもずっと先駆けていたのだ。が、当時はなかなか市場では受け入れられなかった。

 既にこの頃からブラック・サウンドやヒップホップに興味を示し、作詞やダンスを特技にしていた彼女は「将来は世界に通用するブラック・アーティストになりたい」とデビュー当時語っていた。彼女はその後、キティ・レーベル(現在はユニバーサルミュージックの一部門)でもう1枚シングルをリリース後、メジャーから一時姿を消していたが、そのヴォーカルとR&Bへの関心、何より母から受け継いだラテンのリズム・センスはやがて大きな力へと変わっていく。韓国人のVerbalと日本人のTakuが結成したm-floに参加して(2002年に再びソロ活動を行うため脱退)、クラブ・シーンで脚光を浴びその後1999年にエイベックスのリズムゾーン・レーベルからデビューした事で再びメジャーへの表舞台へ返り咲いたのである。

 2002年にはサッカーのワールドカップも開かれ、日本と韓国との交流もますます活発になると予想される中、これからもアジアへ、そして世界へ大きく羽ばたいていくに違いない。

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参考文献:月刊De-View・1993年4月号(旧:ケイブンシャ)

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