本田宗一郎語録集
私が汗まみれになって働いていたから、本田技研は成功したというのは、 私にだけ通用する事であって、ほかの人には通用しない。 その人,その人によって、社長のやり方が違うのは当然である。 私は金をいじるのは不得手だから、人にやってもらう。 私は不得手なことはやらず、得手のことしかやらないことにしている。 人生は「得手に帆あげて」生きるのが最上だと信じているからである。 2001年5月掲載 |
わが国には「サルも木から落ちる」と言う言葉がある。慢心とか油断への いましめである。人間には絶えずついてまわる心のゆるみだが、このための 失敗には、私は寛容の心をもちあわさない。 なぜかといえば人間に許される失敗というものは進歩向上を目指すモーションが 生んだものだけに限るのだと思うからだ。 木登り以外に取り柄のないサルが木から落ちてはいけないのである。 しかし私は、サルが新しい木登り技術を学ぶために、ある「試み」をして 落ちるなら、これは尊い経験として大いに奨励したい。 2001年6月掲載 |
何かを発明しようと思って発明する人がいたらお目にかかりたい。 自分が困ったときに、それを解決するために知恵を出すのが発明といってさしつ かえないでしょう。 人間というのは困らなきゃだめです。絶対絶命に追い込まれたときに出る力が本当 の力なんだ。 人間はやろうと思えばたいていのことはできるのです。 |
人間が進歩するためには、まず第1歩を踏み出すことである。ちゅうちょして立ち止まっ ていては駄目である。なぜなら、そこにどんな障害があろうと、足を踏み込んではじめ て知れるからだ。 失敗は、その1歩の踏み込みだと思う。 前進への足跡だと思う。 |
大体おとなというのは過去を背負っている。過去に頼っていい悪いを判断する から、百八十度転換した時には非常にあぶないイデオロギーで現在をみつめる。 私はこれが一番危険であるとみた。おそらく若い人も納得できないと思う。 設備とかそういうものは金を出せばどんなにも変わる。ところが一番変わらない のは、考え方、いわゆる石頭だ。これは金を出してもどうしても変わらない。 ただで変えられるものを変えずにいて、若い物を悩まし続けなければやって いけない。百八十度転換しなければならないわれわれ年輩の人が悩もうとせず に、若い物を悩まし続けているのが現在ではないか。 イデオロギー・・・歴史的社会的に制約された考え方 2001年9月掲載 |
一人ひとりの人間の可能性は、本人が思う以上に遥かに大きい。私は子供の頃から 駆け足が苦手で、運動会はいつも憂鬱だった。そんな私が人に感心されるほどもの すごいスピードで走ったことがある。 あるとき、飛行機を操縦していて低空飛行に失敗し、つっこんでしまった。もし火が 必死のときに発揮される力というものは人間の可能性を予想外に拡大 |
ほんとは、現職にいる時、うちの社員と名のつく人に全部あって握手してやりたか った。社長を辞めて、やっとその念願を果たすことができた。 日本国内で700ヶ所、回るのに1年半かかったよ。それから海外の駐在員のとこ ろを飛行機で回った。それも半年かかったもんだ。 うちの社員でありながら、オレの顔を見たことがないのが大勢いるんだ。ことに地方 けど、オレは士気を鼓舞するなんて気じゃない。自分が嬉しいからや |
私の両手は左右がまったくちがう。右手の方が一回り大きく太い。左手は傷跡だらけ。 右手は道具を振り回していろんなことやるでしょう。左手はそれを受けるから、いつも やられる”被害者の手”なんです。 ツメなんかは何度ぶち割ったか分からない。その度に抜け替わってよくもまた生えて きたものだ。 人差し指や親指はカッターで削り取られて右より1センチくらい短い。バイト(単刃の 工具)で突き刺して手の甲へ抜けた跡や太いキリが入ってやられた跡・・・。 私は人一倍ケガには強いタチなんでしょうね。古い傷跡は50年以上 たっているけど、それらの傷跡は私にとってはみな”宝物”なんです。 2001年12月掲載 |
やろうと思えば人間はたいていのことはできると私は思っている。 本田技研創立の頃は、焼けただれたような機械を持ってきて再生するところから始め た。 ピストンリングをつくっていた頃は、分析用の器具が買えないので、製作している工場 に通い、器具をみな自分でつくったりした。 資金がないということは、結局自分で何でもやるしかないということで、私はそのとおり にしたまでだ。 工場を建てる時も、私は自分でコンクリートをつくった。工場は一応できたが窓ガラス がない。それもつくろうというので、割れたガラスを集めてきて釜で溶かし凸凹のガラスだ ったがともかくできあがった。 資金の足りない分は、知恵と労力で補えばいいのである。 2002年1月掲載 |
私は町工場の親父であり、研究者であった。夜を日についで設計したものを工場に 流し、どこにも負けない商品を作らねばならなかった。 工場で工夫のない作業やミスを誘いやすい作業をしている物を見ると、つい手が出 てポカリとやったものだ。しかし、たちまち自分の行動に反省し、「おお、すまなんだ。 だがお前のそのつくり方はよくないぞ」といったものだ。 すると相手も、ああ、そうですね、と素直に納得してくれる。 なんだかんだいいながらも、若い連中が私についてきてくれたのは、 この「おお、すまなんだ」の一言と顔にも出る「すまん」という気持ちを 素直に受けとってくれたからだと思っている。 2002年2,3月掲載 |
年寄りはとかく、「今の若い者は・・・・・」としぶい顔をする。しかし「今の若い者は・・・・」 と批判するほど、現代青年はだらしがないだろうか。 いや青年はいつの時代にも、オーバーにいえば、神代の昔から「今の若い者は・・・」と いわれ続けてきたのだ。私の若い頃もそうだった。 何かちょっとまちがいでもしでかそうものなら、すぐに「近頃の若いもんは・・・・・」とくる。 だけど、そのだらしないといわれた若い人たちが、自動車をつくり、飛行機を飛ばし、月 までいける時代を築いてきたのではないか。 いつの時代でも、年をとったオトナたちよりも若い人たちのほうが偉いんだ と私は思う。 2002年4,5月掲載 |