夜は、月夜の晩だけとは限らない。今日みたいな雨の日だってある。
窓に当たる大粒の雨が、先程から神谷の溜息を誘っていた。
「この分じゃ、朝練中止…だよな」
何度目かの大きな溜息を吐きつつ、同意を求めて後ろを向く。
背後では、ベッドに腰掛けて神谷をずっと見詰めていた久保が、ニコニコと笑みを浮かべていた。
あまりにも脳天気な笑顔を目にして、途端に神谷の機嫌が悪くなる。
「なに暢気に笑ってんだよ」
不機嫌も露わに低くなってしまう声に、
「だって、その分長く二人っきりでいられるって事だろ?」
対照的に弾んだ声が返ってきた。
その返事を訊いた途端に、神谷から力が抜けてしまったのは仕様がないだろう。何せ今は大会予選を寸前に控えた大切な期間だ。レギュラーも決まり、最終調整の真っ盛りでいくら時間があっても足りないと言うのに。
「おまえ…j予選前だってのに…緊張感ってもの、どこにしまい込んだんだ?」
あまりの久保の暢気さに頭を抱え込む。
「それなりに緊張はしているよ。今日だって、作戦会議の為に神谷に来てもらってるんだしぃ」
「その割にゃ、全然進んでないよな〜」
開いたノートは真っ白なままだ。
「あれ?あはははv」
神谷の視線を追って真っ白なノートに気付いた物の、久保のリアクションは楽しげな笑い声だった。
笑う久保を睨み付けながら、神谷はまたもや深い溜息を吐いた。
「なんだよ、神谷はオレといるのは嫌いか?」
久保が神谷の溜息に傷ついたように拗ねてみせる。
そんな様を目前にして、腐っているのも馬鹿らしくなり、神谷は久保に微笑みかけた。
神谷の笑みに、久保はとっておきの笑顔を浮かべる。
つられて神谷の笑みも深くなった。雨音の近い窓辺から離れて、久保の隣に腰掛ける。
「ま、たまには休みもいいか。最近練習尽くめだったし」
「恵みの雨ってとこかな」
「ほ〜う、オレ、耳が悪くなったのかな。お前の口からそんなセリフが聞けるとはな」
からかいを受けて、久保は口を神谷の耳元に寄せた。
「あれ?忘れたのか?オレってサッカーと同じくらい、神谷が好きなんだぜ」
途端に神谷の首筋から顔にかけてが真っ赤に染まる。
「ばっ…何を言い出すんだ!」
「あ、訂正。神谷と同じくらいサッカーが好きなんだ。大好きだよ、神谷」
久保は真っ赤になった顔を背けようとする神谷の顎を捕らえると、そっと唇を寄せた。
合わさった唇がお互いの言葉を塞ぎ、部屋の中は雨音だけが静かに流れ始めた。
終わりvvv
★再録本「天(そら)の軌道」制作に辺り、書き下ろしたSS。
1995年7.月初旬脱稿
初出:「天の軌道」収録(初版・再版とも完売)