守護神のタメイキ


★このSSは、オフ本「BITTER SWEET SAMBA AGAIN」の後日談です。
 一応、上記の本を読んでいなくても解るようにしてあります。

ちなみに前作で…ついに二人…やってしまいました。




 穏やかな温もりの中で眠るのは気持ちが良い。
 そんな幸せな気分から引き戻されたのは、目覚まし時計が鳴ったからだ。
 早くベルを止めなくちゃとボンヤリ考えていると、不意に温もりが消えた。
 重い瞼を開けると、全裸の後ろ姿が屈んで、床の上に置いた目覚ましのスイッチを切るのが見える。

 途端に完璧な覚醒が来た。

 慌てて起き上がろうとしたけど、力を入れただけで身体の芯が悲鳴を上げた。
「痛っ!」
 そのまま再びベッドに沈み込む。
 痛い。それもとんでもないところがズキズキとする。―本来なら排泄のみに使われる器官が、他の用途に使われた不平を訴えて熱を発していた。
 俯せたまま、枕を抱き込み顔を埋める。
 そんなトシに気が付いて、馬堀は微笑みながらトシの背中をそっと撫でた。

「おはよう、トシ」

 優しい声。
 声の優しさと撫でてくる手の暖かさに、ようやくトシはホッと息を付くことが出来た。
「…今、何時?」
「6時ちょっと過ぎ」
「!朝練」
 慌てて上体を起こそうとして、背を撫でていた手に押し止められる。
「今日は無理にない方が良いよ」
 掛けられた言葉は優しかったけれど、無理をさせた原因に言われると何だか腹が立つ。痛む身体をごまかしながら背に置かれた手を振り払って仰向けに変ると、馬堀を見上げて睨んでやる。
 ところがそんなことでメゲルような相手ではない。
 見る間に顔が近付いてきて、唇に軽いキスが送られた。
「ま〜ほ〜りぃ〜〜!」
「モーニングキッスv好きだよ、トシ」
 抵抗も儚く、裸の胸に抱き込まれてしまう。
 素肌の触れ合いに、不覚にもトシは気持ちよさを感じてしまった。
『そんな馬鹿な〜!』
 相手は裸の男。そして自分も裸。とても信じられないようなシュチュエーション。
 その上あろうことか、昨晩二人は『一線を越えて』しまったのだ!

 記憶が蘇り、焦りと恥ずかしさで体中が赤く染まる。
 そんなトシの耳元に、馬堀はもう一度キスをした。
「愛してるよv」
 囁かれて震えが走る。
「は…恥ずかしいこと言うなよ」
「恥ずかしい?本当のことなのに何で恥ずかしいんだよ」
「オレが恥ずかしいんだよ!」
「昨日は好きだっていってくれたじゃないか」
 もう一度キスが降りてくる。
 今度のキスは深くって、舌が絡め取られ息継ぎもままならない。
 情熱的な口腔内への愛撫で意識が霞み始めた所で、ようやくとキスは解かれた。
 名残惜しそうな表情の馬堀をボンヤリと見つめていると、指先で頬をツンと突かれた。
「皆にはオレがごまかすから、ゆっくり行こう」
 馬堀の提案に深く考えることもせずに頷くと、ようやく身体が離された。
「それとも…学校、休む?」
 休みたくないと頭を振ると、馬堀にふんわりとした笑顔が浮かんだ。
「トシ、好きだよ」
 掛けられた言葉に無意識のうちに頷いて、自分も微笑んでいることに気が付いた。
「きっと今、オレは世界中で一番幸福な人間なんだろうな」
 馬堀の囁きに、トシは軽い拳骨を送った。














 二人が世界に浸っているのとちょうど同時刻…。


 まだ空も薄暗い朝のグラウンドには、カズヒロがいつもより1時間も早く来ていた。
 ジャージのポケットに手を突っ込み、少しでも体を温めようとリフティングをしている。
 動きはリズミカルで楽しげなのだけれども、しかしその瞳は暗い。
 しきりに校門に続く道を気にして、人影が見えるたびに目を凝らし、人違いに肩を落とす。
「ごめん、トシ。油断したばっかりに…」
 白く凍った息と共に、まだ来ない人に許しを請う言葉が吐かれた。




 時間は昨日の放課後にまでさかのぼる。




 神谷がカズヒロとケンジの反対を押し切ってトシと馬堀を部室に二人っきりにさせたのは、全国大会を目前にして最大の難題となってしまったこの『恋愛騒動』を、当人同士でじっくり話し合って解決して欲しかったからだ。
 それに、すぐ前のグラウンドで皆が練習しているのなら、いくら馬堀でもトシに悪さを仕掛けないだろうと考えたのだ。

 なのにあろう事か、二人の姿はいつの間にか消えてしまった。

 先に帰ったのかとトシの家に電話しても戻っていないと言うし、馬堀の家に至っては留守電がよそよそしいメッセージを流すだけだ。

 取り敢えず部活を終え箝口令を敷いて部員を帰すと、神谷の指揮の元、大塚・赤堀・カズヒロ・ケンジの5人で校内中を探した。
 それでも二人の姿はどこにも見あたらない。
 入れ違いに帰られてしまったのかと思ってもう一度トシの家に電話を掛けると、今度は『友達の家に泊まる』と連絡があったと言う。
 すぐに真穂地の家にも電話したが、こちらの方は留守電のままだ。

 よって導かれた結果は―『二人はどこか場所を変えて一緒にいる。それもどうやら一晩過ごすらしい』…

 血の引くような現実に、寒気の後にパニックが来た。

 可哀想なのは神谷で、こんな事態になってしまった責任を一身に背負うことになってしまった。
「とにかくこれからの事は、明日、二人の様子を見てから決めよう」
 散々カズヒロとケンジに攻められた後での神谷の提案を一同が受け入れると言う形で、その場は解散となった。

 長い夜だった。

 特にカズヒロにとっては、眠れないほどにトシの身が心配だった。
 部室に残すときにトシが見せた縋るような表情が思い出されて、後悔に襲われる。
 ベッドに横になっていてもどうしても眠れず、空が白むと同時に学校に来てしまった。




 練習開始30分前に、神谷が現れた。
 自分よりも早く来ている部員にビックリしたのは始めだけで、すぐにカズヒロの顔色に気が付き苦笑が浮かんだ。

「ちゃんと寝たのか?」
「…はい」
「そうか?ま、いい。リフティング、混ざって良いか?」
「あ、はい」
 蹴っていたボールをパスすると、ワントラップの後ですぐにパスが帰ってきた。
 
 リフティングを二人で繋いでいくと、リズムが出来上がってくる。

「こういうのは、久保が得意だったんだよナ」
 懐かしそうに神谷が呟くのを耳にして、不思議な感動を覚えた。
「神谷さんも久保さんも、朝早くに来てましたよね」
「あいつが馬鹿みたいに早起きだったんだよ。オレは付き合わされていただけだ」
「でも、今でも一番乗りですね」
「クセになっちまったんだよ」
「久保さんを好きだったんですね」
「あいつとは親友だからな。好きに決まってるだろ」
 ちょっとぶっきらぼうに言って、ボールを高く上げて返してくる。
 その時、バイクが校門を入ってくる音がした。
 ボールを右足でトラップすると、地面に置いてリフティングを止める。
「ケンジだ」
「白石も寝不足のクチ、みたいだな」
 口の端を小さく曲げて、顔を見合わせて笑った。














 守護者(ガーディアン)たちがグラウンドに集結した頃、馬堀とトシは学校に向うバスの中にいた。
 自転車通学ではトシの身体に障るだろうと、普段は使わないバスを選んだのだ。
 まだ早い時間なので、座席は空いていた。
 エスコートされるように座らされ、荷物も持ってくれる。
 そんな馬堀に、トシは驚かされっぱなしだ。
 ラテン野郎の恋愛に関してのサービス精神は、日本人の理解を超える。


 家を出る前もそうだった。


 やっぱり朝練に出るとトシが言い出した途端に、すぐさま馬堀の世話焼きが始まった。
 手当は昨晩の内に済ませていたので省略し、新しい下着とアイロンのかかったシャツを渡されて、身繕いをしている間に温かい朝食が準備される。

「おまえ、いつもこうなのか?」
 渡されたコーヒーを飲みながら訊くと、
「好きな相手にしかやんないよ。ま、女の子は例外だけど」
 お茶らけた答えが返ってくる。
「オレは男だもんな」
 なぜだか拗ねた声が出た。
 内心慌てながら馬堀を睨むと、ニッコリとした笑顔が向けられた。
「な…なんだよ、人の顔見て笑って…」
「トシが嫉妬してくれたv」
「!オレが嫉妬ォ!?」
「安心して良いよ。最上のもてなしはトシにだけしかしないから」
「嫉妬なんかしてない!」
「んv解ってる」
 輝くばかりの笑顔に、トシは反論が出来なくなってしまう。


 恐るべきはラテンの血。
 そしてそれを嬉しいと感じ始めてしまっている自分の心。




 バスが学校の近くの停留場に止ったのは、練習開始の5分前だった。
 国道にある停留場から校門に向うには、グラウンド沿いの道を歩くことになる。
 何気なくグラウンドに目をやると、気の早い連中がもう練習を始めているのが見えた。
 途端にトシの足取りが遅くなる。
「心配しなくて良いよ。昨日のはオレの責任なんだから。トシは何も悪いことしていない」
「う…ん」
 促されて、また歩みを速める。
 心配はいらないと言う風に、馬堀は軽くトシの肩を抱いた。
















「トシ!」
 最初に二人に気が付いたのは、カズヒロだった。
 シュート練習を中断し、トシに駆け寄る。
 その後をすぐにケンジが追った。

 部室の前で、一同は会した。

 走り寄ったくぃきおいのままカズヒロはトシを抱き込むと、馬堀の目から隠すように体勢を入替えた。
「カズヒロ?」
「大丈夫だった?ごめん、トシ」
 驚くトシを抱く腕に力を込め、謝りの言葉を紡ぐ。
 ケンジからトシを奪い返そうとする馬堀に対応したのは、ケンジだった。
 進路を塞ぎ、睨み付ける。
「お前、トシに何かしたんじゃねぇよな」
 普通の人間ならビビって逃げ出したくなるその迫力に、しかし馬堀は怯まない。
「トシにしたんじゃないよ。トシとしたんだ」
 サラリと言ってのける。
 ビビッたのはケンジとカズヒロの方だった。
「トシと…って、まさか、お前…」
「ちゃんと合意の上だからな。文句なんか言わせないよ」
 震える声で訊いてくるケンジに、馬堀は胸を張って答えた。
「カマホリぃ…てめぇ!」
 ケンジは一瞬呆然とし、すぐに我に返ると馬堀に殴りかかろうとした。

 しかしその前に、カズヒロの腕から抜け出したトシが馬堀の頭を殴りつけた。

「痛っ!」
 殴られた頭をさすりながら恨めしげに見返してくる馬堀に、トシは一歩も引いていない。
「なんて事言うんだよ!」
「良いじゃないか、本当のことなんだから。ちゃんと交際宣言しちゃえば、もう誰にも文句言わせないで済むだろ」
「そんな恥ずかしい事、よく言えるな!」
「恋人同士じゃないか」
「それは…とにかく恥ずかしいこと言うな!!」

 目の前で繰り広げられる二人の遣り取りに、すっかりケンジの怒りは醒めてしまった。
 どう見ても痴話喧嘩。ただただ呆れてしまう。

 その時、騒動の中に神谷が合流した。
「どうやら、解決したようだな…」
 独り言のような呟きが一同の耳に届く。
「解決ったって…いいのかよ」
 溜息混じりのケンジに、
「仕方ないだろ?もうこれ以上は本人達の問題だ」
 キッパリと神谷が結論着けた。

 そしてケンカモドキのじゃれ合いを続ける二人の間に割って入ると、引き剥がして並ばせる。
「神谷さん…すみません」
「昨日のは、オレがトシを連れ出したんです」
 神谷はシュンとしてしまった二人を交互に一睨みすると、両方の頭に拳骨を落とした。
「皆には迷惑を掛けないこと。これからの試合を一番に優先すること。解ってるな」
「はい!」
「ハイ!」
「もう練習時間に入ってるぞ。早く着替えてグラウンドに入れ!」
 二人の答えに満足するように頷くと、神谷はグラウンドに向き直ってスタスタと歩き出した。




 馬堀とトシが着替えのために急いで部室に入ると、その場にはカズヒロとケンジだけが取り残された。
「なんか…拍子抜けだよなぁ」
 ポリポリと頬を掻くケンジとは対照的に、カズヒロはどこか悲しげだった。
 トシが抜け出した後の腕を前で組んで、閉まったドアを見ている。
「おい、カズヒロ?」
「…オレは、認めない」
「カズヒロ?」
「男同士でなんて、良いわけない」
「おい、カズヒロ」
「トシの為に、良いはずないじゃないか!」
 悲愴な顔をしたカズヒロに、やがてケンジがニヤリと笑った。
「そうだな。馬堀になんか、取られてたまるか」
 決意も新たに、二人は顔を見合わせ頷いた。














 皆があっけなく思うほど、一日は何事もなく過ぎていく。


 トシはサッカーをしているときの動きこそぎこちなかったが、昨日よりずっと元気だ。
 今まで思い悩んでいた馬堀との関係が一段落付き、精神的に安定したことが、プレイにダイレクトに現れていた。

 トシが馬堀と『そう言うこと』になったという事実は、部員の中だけに封印され、改めて箝口令が敷かれた。
 自分から言いふらすのではないかと心配された馬堀の方も、
「そんなことしなくても、もう余裕ッスよ」
 と、吹聴する素振りも見せなかった。




 放課後の部活を終えると、最近の習慣とおりにトシはケンジのタンデムシートに乗って帰途についた。
 見送る馬堀は笑顔で手を振り、見送られるトシの方も笑顔を返す。
 そんな様子を見せつけられて、カズヒロの機嫌はオドロ線が降るほどに悪化していく…
 不穏な空気を察知して、二人の回りから人の姿は消えていた。

「何だよ、そんな怖い顔して」
 陽気に尋ねる馬堀を、カズヒロは冷ややかな眼で睨み付ける。
「オレは、認めないからな」
「?」
「トシをお前になんか渡さない」
「おいおい、トシはお前のものじゃ無いぜ」
「お前のものでも無い!」
 カズヒロの剣幕に、馬堀の表情が真面目な物に変わった。
「その言葉、保護者として?それともライバルとしてか?」
「ライバル?」
「平松もトシを好きだもんな」
「親友なんだから、当たり前だろ!」
「さっきの言い草じゃ、親友ってレベルじゃなかったぜ」
「お前と一緒にするな!!」
 怒りに顔を赤く染め上げ、馬堀に詰め寄る。
 そんなカズヒロに、馬堀はニッと笑いかける。トシに向けるのとは違う、挑発的な笑いだ。
「なら、邪魔させないからな。やっと両思いになれたんだ、誰にも渡さない」
 そのまま顔を近付け、睨んだままのカズヒロの唇に、触れるだけのキスをした。
「!?」
 驚いて飛び退くカズヒロに、小さく笑う。
「何すんだ!」
「トシとの間接キス。ほんのおすそ分けだけど、ご感想は?」
 途端にカズヒロの表情が、今まで以上に険しくなる。
「絶対に認めないからな!!」
「絶対に、認めさせてみせるよ」
 しばらく互いに睨み合った後、二人はそれぞれの帰途に着いた。














 カズヒロは最近の習慣通りに、自宅に帰る前にトシの家に寄った。

 部屋ではいつものようにトシとケンジがカズヒロを待っていた。
―ただし、トシは既にベッドで眠っていたけれど。

「やっぱ、無理していたんだろうな。なんか眠そうだったんで、少し横になればって言ったら、この通りだ」
 呆れたようにケンジが方を竦めてみせる。
 近くに寄って寝顔を覗くと、あまりに幼い表情に思わず笑みが洩れる。
 伸びてしまった前髪を指で梳いてやると、小さく唇が動いた。
「よく寝てるな…」
「ホント、ぶっ叩いても眼を醒さないんだからな。ったくあのカマホリ野郎、無茶やりやがって!」
 ケンジの言葉に、カズヒロは力一杯頷いて同意した。

 眠るトシの襟元が苦しそうなので、シャツのボタンを外してやる。
 途端にカズヒロの手が怒りで震えた。
 襟で隠されていた首の付け根に、クッキリと赤い鬱血の跡が見えたのだ。
 カズヒロの顔色が変ったのを見たケンジも、視線を追って鬱血を見つける。
「キスマークか。なんか、こいつには似合わないな。まだまだガキなのによ」
「うん…」
「でもな、無理矢理じゃ無かったんだってさ」
「え?」
 思わずケンジに振り返ると、そこには困った表情を隠そうとしない表情があった。
「バイク走らせてるときに聞き出したんだけど、馬堀のことを好きだし、やったのもちゃんと合意の上だってさ。―まぁ半分丸め込まれたって感じだけどナ。こいつ優柔不断だから」
 ケンジの証言に、カズヒロはすっかり戸惑ってしまった。
 本当に二人が両思いなら、自分はどうしたらいいのだろう?
 見下ろすトシの眠りは、穏やかだ。
「まいっちゃうよな。そんな事言われると、オレたちゃ悪役じゃないか。―でも本当にトシの為を思うんなら、やっぱまっとうな道を行ってほしいもんな」
 ケンジの言葉に、なおさら大きく頷く。
 そう、それがトシの為だ。両性愛者の人権を否定するつもりはないけれど、まだまだ世間ではマイノリティだ。―きっとこのあと苦労する。
 この純粋な親友を守りたかった。トシの悲しい顔なんか見たくない。
 ケンジはカズヒロを見て静かに笑うと、ドアの方に向った。ノブに手を掛け、振り返る。
「じゃ、オレ、バイト行くぜ。大会始まったらガス代稼げねぇから。お前はどうする?」
「もう少し居るよ。トシと話したいし」
「お前もあんまし寝てねぇんだろ?なるべく早く帰って寝ろよ」
「ああ、そうする」
 小さく手を挙げて、別れを告げる。


 ケンジが部屋を出ていって、しばらくするとバイクをふかす音がして、やがて走り去った。


 二人きりになると、部屋の中は急に静かになった。

 今まで気にならなかったトシの寝息が、やけに耳に付く。
 スースーと穏やかで、柔らかい。
 点けっぱなしだった部屋の電灯が眩しいのか時々首を振るのに気が付いて、グローランプにまで照明を落とす。
 そして改めて、カズヒロはベッドの横の床、ちょうどトシの枕元の正面に座り込んだ。
 薄明かりの中に浮かび上がる友の顔を、間近に見つめる。

 不思議な気持ちだった。
 こんな風に二人きりになったことはない。

 改めて部屋を見回すと、学ランの上着は椅子の背にかけられているものの、ズボンが見あたらない。
 上掛けの裾をそっと捲ると、トシがズボンを履きっぱなしなのが解った。
 眠る支度をする手間を惜しむぐらいに疲れていたのかと思うと、胸が痛んだ。
「トシ、着替えた方がいい」
 そっと身体を揺さぶるが、トシは唸るだけで一向に目を醒さない。
 仕方なく立ち上がると、上掛け布団を剥ぎ、服を脱がせてやることにした。
 ベルトのバックルを外してズボンを脱がせてやり、上体を起こさせてシャツも脱がせる。
 それでもトシは、目を醒さなかった。
 下着姿になったトシをベッドに寝かし直し、改めて見下ろす。
 首の付け根の他に、ランニングシャツから出ている胸元や肩にも鬱血の跡が散っていた。
 突きつけられた現実に、胸が痛む。

 これ以上見たくないとばかりに布団を掛け直し、整えてやる。
「ごめん…」
 耳元にそっと囁く。
 返事は期待していないけれど、やはり何の反応もないのは寂しかった。
「トシ…絶対守ってみせるから」
 寝息に誘われるように口付ける。
「!?」
 自分の行動に自分が驚いた。
 慌ててキスを解き、己の唇を指で押さえる。
「オレは一体…」
 何をしてしまったのだろう?
 心臓の鼓動が早まる。汗が流れた。
 恐る恐るトシの様子を窺い、目を醒さなかったことを確かめてホッとする。
『平松もトシが好を好きだもんな』
 馬堀の言葉と不敵な笑みを思い出す。
「親友だもの、好きなのは当たり前だろ?」
 自分に言い聞かせるように小さく呟く。
 でも、この苦しさはなんだろう。触れてしまった唇の熱さは?
「親友だから…好きだから…トシを守る」
 自分の中に目覚めつつある感情に気付かぬ振りをして、幼い笑顔に誓う。
「お休み、トシ」
 グローランプも消し、闇に包まれた部屋を後にする。これ以上二人きりでいるのが辛かった。




 階段を下りると、濾紙の母親が台所から顔を覗かせた。
「おや?トシは?」
「あ、寝てます。今日の練習きつかったから、ゆっくり寝かせといてやってください」
「う〜ん、困ったねぇ、今晩焼きそばにしようと思ってたんだけど冷めちゃうねぇ。!そうだ、カズヒロくん食べていかない?」
「すみません、オレも疲れてて。…早く寝たいから今日は帰ります。この次ぜひとも御馳走になります」
「じゃ今度ね。今度の大会、がんばってね」
 トシの母親は、笑いながら玄関先にまで見送りに出てくれた。

 トシの家を出て夜の道に立ち、明りの消えたトシの部屋を見上げる。
「お休み。また明日」
 苦労して視線を外し、帰途についた。




 守りたい。
 あの大切な友を守りたい。
 ひたむきにボールを追う情熱と、何かを期待させずには居られない瞳の輝きを…




 天才だ何だと回りに騒がれて一歩引かれていた自分に、自然体で付き合ってくれた最初の友人達がトシとケンジだった。
 全くバラバラな性格の三人が掛西トリオと呼ばれるまでに仲良くなれたのは、トシの純粋な情熱に自分とケンジが惹かれたからだ。誰にも言っていないけど、受験の滑り止めに掛川を選んだのは、トシが受けるから―何らかの形でも繋がりを持っていたかったからだ。

 大切な親友。決して失いたくない存在。

 強い友愛の感情は、恋に限りなく近い。














 想いが交差していく。
 それぞれに想いを抱え、夜は更けていく。




 全国大会まであと二週間。

 憧れの国立は、すぐそこにあった。














                               終わり



              1995.11.05.発行「守護神のタメイキ」(コピー本・絶版)







『Bitter Sweet Samba』シリーズの、番外編的なお話です。
裏設定・カズヒロはトシを恋愛対象として見ている(汗)
何だか馬堀、悪役ですね。
コメディ中心のシリーズにあって、ちょっとだけシリアスです。






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