「先、行ってるぞ」
「おい、待てよ」
昼メシを済ますやいなや、グラウンドに飛び出そうとする久保を追いかける。
退院してきた途端にこれじゃ疲れないかと心配するが、本人の方は至って調子が良いらしい。階段を一足飛びに駆け降りていく様子は、とても病気上がりに見えなくて、なんだか笑えた。
「待てよ!」
「急げよ。時間がもったいないだろ?」
階段の途中で振り向いた顔が、本当に嬉しそうに輝いてkる。
こんなサッカー馬鹿、そんじょそこらじゃ拝めないだろう。
「ったく、何でこんな奴、好きになっちまったんだろうな」
後を追いながら溜息を吐き、
「でも、こんな奴だから好きなんだよな」
現実に小さく頭を振る。
本当に大好き。友情を越えて危ない関係に進んでしまうほどに、オレはいつもこいつに恋している。
先に仕掛けたのはあいつだが、それを受けたのはオレ自身だ。
乗せられた訳じゃない。
だって突っぱねようと思えば出来たんだ。ちゃんと久保だってオレの逃げ道を残してくれたんだし…なんかこれって、真剣じゃないか?
部室の前で、ようやくと久保に追いつく。
「なんだ、遅かったな。ニブってんじゃないか?」
にやにやと笑ってくるのにカチンと来て、睨んでやる。
―が、久保の奴はビビら無い。ったく、調子が狂う。
「なんだよ、お前の方が先にダッシュしたんだろうが」
「退院したばっかりなんだから、その位ハンデだろ?」
「お前、バケモンだ」
「?じゃ、神谷もバケモンだな」
鍵を開けながら、おちゃらけて言う。
意味を計りかねて頭を捻るオレを、久保は笑いながら部室に連れ込んだ。
半日無人だった室内は、窓を閉めていたせいで空気が澱んでいて、蒸している。
ドアを閉めて密室になると、外からの音がほんの僅か遮断されて、異空間にいるような雰囲気になってくる。
久保の顔が、無邪気に笑っている。―こいつがこんな顔をする時には警戒した方が良い。
急いで逃げの体勢を取ったけど、…逃げ遅れた!
ビビるオレを捕まえて、
「もう身体、大丈夫なんだ」
思わせ振りな色を含めて、耳元で囁きやがった!
おかげで何が言いたいのか解ってしまった。自分の顔が赤くなっていくのを自覚する。
「この変態!」
「ごめ〜ん、冗談だよ♪」
暴れるオレを抱き締めて、嬉しそうに言い放った。
そんな久保の柔らかい声に、力が抜ける。
あ〜あ〜、そうだよ。こいつが変態さんでも、嫌いにゃなれないんだ。
ったく、恋は惚れたら負けっていうけど、身に染みて解っちまった。
脱力したオレに気付いて心配気に覗き込んでくる久保に、笑い返してやると嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「さ、早くサッカーしようぜ」
オレを抱く腕を離しながら、素速くキスを送ってくる。
さっさと着替えだした久保の後頭部に、オレは愛しさと怒りを込めて拳骨を送った。
終わりvvv
★再録本「天(そら)の軌道」制作に当り、書き下ろしたSS。
1995年7.月初旬脱稿
初出:「天の軌道」収録(初版・再版とも完売)