7月28日
真夏の太陽を人間に例えるのなら、きっとオレ達くらいのガキなんだろう。
熱く燃えて、ギラギラ輝いて、空の一番高い所で世界を見下ろしている。
怖い物など何も無い。
たまに入道雲に視界を妨げられるけど、その時は雲の上でのんびりと骨休みをすればいい。雨が降るのは遼か下界で、雲の上では関係ない。
「おい、何呆けてんだよ!」
いきなり背後からド突かれて、前のめりに倒れそうになった。
何とか堪えて背後を振り向くと、地上の『太陽の世代(サン・エイジ)』の一人である『最愛の友』神谷篤司の笑顔が飛び込んできた。
―あまりに眩しくて、思わず瞳を細めてしまう。
「ったく、夏休みに入って遊びたいのは解るけど、練習の間ぐらい気を引き締めろよ、キャプテン!」
不敵にニヤリと微笑むと、改めて力一杯背中を叩いて来る。堪えきれずによろけるオレの姿を見ると、カラカラと愉快そうに笑った。
どうも体育会系の強制練習に納得がいかず、オレ達は夏休みの間の練習を全て自主トレにしてしまった。
練習はしたい者がすればいい。せっかくの夏休みなのにと嫌々練習するのなら、しない方がずっとマシだ。
まぁ所詮はサッカー好きの集まりだから、心配していたほどの欠席も無く、練習は順調に行っていた。
インターハイ予選で勝利の味を知ってしまったのも幸いしているんだろう。勝てば楽しいし、もっともっと強くなりたくなる。
楽しんでする練習だから、皆飲み込みも早く、日々上達していくのが目に見えて解る。
地上の太陽達は、白と黒の模様のボールがいたくお気に入りで、皆でサッカーをしている限り、何の不満も持たなかった。
昨日家に帰ると、郵便受けに入っていたのはドイツからのエアメールだった。
差出人の名はハンス。
開けてみると入っていたのは誕生日のカードで、ドイツ語の祝い文句の後にはひらがなで『よしはるおたんじょうびおめでとう はんす』と書かれていた。
人懐こいハンス。フランクフルトで得た一番最初の友達。彼のおかげでずいぶんと助けられたっけ。
きっとひらがなも何度も練習したのだろう。お世辞にも上手な字とは言えなかったけど、オレを喜ばせたいという温かい気持ちが伝わってきて、不覚にも涙ぐんでしまった。
手紙には、皆の近況も書かれていた。
今期もチームの調子は良く、10番を背負ったルディも絶好調。クリスとコンビを組んで、連勝街道を突っ走っているそうだ。
『よくヨシハルの話題が出るよ。今頃日本でどんなサッカーをしているだろうかってね。
夢、と君は言っていたけれど、それは叶いましたか?「もたついているのならドイツに引きずり戻してやる」なんて物騒な事をルディは言っています。
口は悪いけど、ルディもヨシハルと離れている事が寂しいんだよ。―もちろん一番寂しいのは僕だけどね』
同封されていた写真の中の皆は、少しだけ大人びていて、何だか可笑しかった。
蝉時雨が降り注ぐ。
騒がしいその声に、熱さが増していくようだ。
炎天下のグラウンドでは、ボールの白い部分がやけに光っている。
光の球を追って、駆ける。
マークをかわしてk神谷にパスを送ると、気持ちが良いくらい綺麗に通った。
ゴール前の混乱を抜けて、ボールは正に『光速』の勢いでポストの中へ吸い込まれた。
「まったく、君たちのコンビにはかなわないよ」
赤堀がやれやれと言うように肩を竦めてぼやく。
「こんなの受けるオレの身にもなってくれよ〜!」
小笠原の訴えは悲鳴に近い。
「なんだぁ、そんな情けない事言うなよ。オレ達は絶対に国立に行くんだぞ。な、久保!」
肩に腕が回される。
「そうさ。皆で行こうな」
思いっきり近付いて来た顔に向かって答える。答えに気を良くした神谷は、肩に回していた腕を解くと、改めてオレの顔を抱え直し、開いている方の手で髪の毛をクシャクシャと掻き回して来た。
「やめろよ神谷!」
訴えても手は止めてくれない。
「イイじゃないか。後でなんかおごるからよ」
「?」
「明日はお前の誕生日だろ?前祝いってことでさ」
いきなり言われてびっくりしてしまう。
「!憶えててくれたのか?」
オレの驚いた顔を見て、満足そうに神谷が頷いた。
「大切な相棒の誕生日なんだから、忘れる筈なんだろ?―しっかしまぁ、これで二ヶ月半はお前の方が年上って訳か。なんか悔しいな」
後から付け加えられた言葉を言うときの神谷は本当に悔しそうで、思わずからかいたくなってしまった。
神谷の腕を何とか振り解き、今度はこちらからお返しとばかりに頭を抱きかかえる。
「ならこれから二ヶ月半、オレの事は『嘉晴お兄ちゃん』と呼びなさい。いいな、篤司」
「げえ〜!それは勘弁してくれぇ!」
胸の中で、神谷の抵抗の勢いが強まる。顎に触れる神谷の髪の感触が気持ちよくって、思わず顔が緩んでしまう。
所が幸せはそうそう続くものでは無かった。
「じゃぁ、オレは9月生まれだから、あと二ヶ月『お兄ちゃん』って呼ばなくっちゃいけないんだ」
にこにこと、それでなくても細い目を更に細めて、赤堀が頭一つ上から声をかけてきた。
「てことは、12月のオレは…5ヶ月か!しかしお兄ちゃんって言うのはなぁ…。『兄貴』じゃ駄目か?」
やはり頭の上からかけられた大塚の言葉は、オレの気持ちを一気に落ち込ませるものだった。
「…もういい。お兄ちゃんも兄貴も無し」
どっと疲れが出てしまう。
オレの力が抜けたのを幸いに、神谷が形勢を逆転してしまった。
気が付けば、オレの頭は神谷に抱え込まれていた。
「まぁいいさ。一回ぐらいは呼んでやるよ。な、嘉晴お兄ちゃんv」
甘えた声で呼ばれて、鼓動が跳ね上がる。
見上げると、神谷はウインクを返して来た。
―正直に告白しよう。もしここにオレ達二人の他に誰もいなかったら、オレは神谷にキスしていただろう。
去年の誕生日はドイツで祝った。
家族だけで過ごすつもりが、いつの間にやらクラブや学校の友達が押し掛けてきて、けっこう盛大になってしまった事を思い出す。
一年経って場所も仲間も変わったけれど、あの頃も今もサッカーをしている。
神谷に出会って、一緒に作り上げたサッカー部は、信頼できる仲間と大好きなサッカーをしたいという、夢の一つを叶えてくれつつある。
そういえば、神谷ってルディに似ている。気が強くってちょっと生意気で、サッカーセンスの良い所なんかそっくりかも知れない。何よりもサッカーが好きで…。
でも、オレの気持ちの方は大違いだ。
ルディは友達で仲間でライバルだったけど、神谷の方はその上に『特別な』が付く。
始めて出会った時から、なぜだか気になった。何とか友達になりたくて追いかけているうちに、いつしかオレは神谷に恋をしていた。
大塚の提案で、明日は部活の後にオレの誕生会をするという話がまとまってしまった。
夕方の風は昼間の猛暑の名残で、日向の香りをさせている。
神谷と二人でバスを待つ間中、風はオレ達を包み込んでいた。
「それにしても、お誕生会って、小学生みたいだ…」
嬉しいやら恥ずかしいやらでポツリと一人ごちると、
「なぁに、単に騒ぎたくって、ネタに使われたんだよ」
からかうような口調で言い返されてしまった。
「じゃ、オレの誕生日なんてどうでもいいって事か?」
「ん?少なくともオレは違うぜ」
何の躊躇いも無く返された返事に、気持ちはうれしさの余り浮かれてしまう。
「なんだよ、にやにやして気持ち悪りぃな」
怪訝そうに見られても、顔のニヤつきは抑えられない。だって、本当に嬉しいんだから。
「神谷、明日は何をプレゼントしてくれる?」
肩に腕を回して、引き寄せ訊ねる。
すると、神谷はびっくりした表情で見返してきた。
「さっきケンタッキーおごっただろ?」
あまりにも真面目な顔での答えに、一瞬頭の中が真っ白になってから、パニックが来る。
「え〜っ、あれがぁ?!セコ過ぎないか?」
肩に回していた腕を、思いっきり揺さぶってしまう。
「ば、馬鹿!息できねぇから離せ!」
ジタバタともがく神谷に気付いて、慌てて腕を放す。
息を整えながら、神谷が睨み付けてきた。
「冗談に決まってんだろ。…ったくガキじゃあるまいし。ちゃんと用意してあるから安心しろって」
「ごめん…」
きっとオレはとんでもなく情けない顔をしていたんだろう。やがて神谷の表情がほころぶ。
「ま、オレの方こそからかって悪かったな」
すっかり板に付いた、「とびっきりの笑顔が返された。
眩しくって、どうしてもオレは目を細めてしまう。
「で、何をくれるの?」
「ば〜か、明日のお楽しみだよ」
肘で脇腹を小突かれてしまった。
掛川に戻って来て良かった。
何年か毎に転勤を繰り替える父さんに連れられていろんな所に住んだけど、やっぱりここが一番だ。
いや、神谷の側が『一番』と言い直すべきか。
こうして一緒に年を重ねて行って、『隣に居るのが当然』という仲になれたら良いなと思う。
「なぁ神谷、一つだけリクエストしていいか?」
オレのいきなりの申し出に、神谷があからさまにビビる。
その動作があまりにも子供っぽくて、つい笑ってしまう。
「オレ、小遣い日前でピンチなんだから、高いもんは無理だぞ」
「一緒に写真を撮ってもらいたいだけさ。二人でのとサッカー部の皆のと。―ドイツの友達に送るんだ」
神谷の身体から力が抜ける。ほっと息を抜き、やがてOKと右手の親指を立てて答えてくれた。
写真を見て、ハンスやルディたちはどう思うだろう。
手紙にはこう書くつもりだ。
『日本での親友と、仲間の写真を同封します。オレはこいつらと夢を叶えるからね』
フランクフルトのフィールドに吹いていた風の匂いを思い出す。
返事が今から楽しみだった。
終わり
1994年6.月25日脱稿
初出:INNOCENT
SKY サークル・K'sさま
「天の軌道」収録(初版・再版とも完売)