腐れ縁




 ■ 1・ジンクス ■


 加納から指定された待ち合わせ場所は、実に庶民的な店だった。

 「稼いでるクセに、結構せこいんだな」
「……こういうところの方が、気軽だ」
 昔なじみのフケ顔男は、堂々とした態度を崩すことなく、セルフサービスで注いできた緑色のソーダ水を無表情に飲んだ。

 ここはファミリー層が席巻する、郊外の低価格レストラン。
 平日の昼下がりなので、まばらな客のほとんどは近所の奥様方や母親とお子様の組み合わせだ。
 はっきり言って、オレ達は結構浮いている。

 Jリーガーとしての活躍も二年目に入り、すっかり加納は貫禄が付いた。…年齢だけならまだ未成年だけど、同じ年のオレまでもが失念するくらいの外見は、結構笑える。

 だけど知っている。
 こいつがおっさんくさいのは外見だけ。
 普段のこいつは『ドジ・間抜け・鈍感』のエピソードに事欠かない。
 サッカーしている時にはまさに『帝王』なのに、もったいないと思ってしまう。

 まぁ、そこがこいつの魅力でもあるんだけれど。

 初めて会ったのは、県のジュニア選抜に選ばれた時だった。
 と言うことはもう10年近くの付き合いだ。
 考えてみれば同じ学校になったことは1度もないのに、同級生よりもこいつの方が身内のように感じる。

「明日は、スタメンか?」
「そう言われている」
 ソーダ水のグラスを置き、セカンドバックから封筒を取り出してきた。
 渡されたそれは、指定席のチケット。SA席の中でもかなり良い場所だ。
「くれんの?」
「ああ」
「サンキュ。精一杯応援してやるからな」
 ニッコリ笑って礼を言う。
 しかしなぜか、加納は少し引きつったような顔をした。
「……心強いな」
「なんだよ、その顔は。オレの応援じゃ不服か?」
 乗り出して笑顔のままで睨んでやると、余り大きく変らない加納の表情が微かに焦ったことが見て取れた。
「応援はありがたいが、くれぐれも相手チームに呪いなんかかけるなよ」
「なんだそりゃ!?」
「この前、佐藤さんが捻挫した」
 この前?そう言えば試合直前にふざけて『ついでに相手の誰かに呪いでもかけてやろうか?』と言ったら、本当に怪我して退場する騒ぎがあったっけ。――それで流れが変って、加納のチームが逆転したんだけれど。
「あれはジョークだ!南米なんか之チームでは、専属の呪術師が居るっていう話があるだろ?」
「お前なら、同じくらい魔力がありそうだから・・・」
 思わず言葉を失った。
 こいつ、マジで言ってるのか?それともジョークか?
 気を落ち着かせるためにコーヒーを飲むオレに、加納がヤケに真剣な声で語りかけてきた。
「内海が見に来てくれた試合で、負けたことがない」
……そう言えば、そうかも。
「オレはお前専属の呪術師か?」
 カップを手に持ったまま尋ねると、
「お前はオレのジンクスだよ」
 どこか優しい響きを含んだ言葉が返ってくる。
 その声が、何だかくすぐったい。

 昼下がりのファミレスで、オレ達の回りだけ空間の色が違う。

 不思議な居心地の良さに、二人して小さく吹き出した。








 ■ 2・応援 ■


 今日は斉木の大学との対戦だというのに、オレはレギュラーに入ることが出来なかった。
 くさりながらも観客席の最前列に陣取っていたところを、グラウンドでアップしていた斉木に見つかってしまった。
 観客席の手すり越しに、オレを見上げながら笑いかけてくる。

「よう!今日は応援団か?」
 ニコニコと楽しそうな表情に、ムッとしてしまう。
 好きで試合に出られないんじゃない。
「捻挫したんだよ」
 練習中の接触で倒れたとき、右足を変な風に捻ってしまったのだ。
 全治1週間。本当についていない。

 理由を聞いてまずったと思ったのだろう、斉木は途端にしおらしい態度を取った。
「久しぶりに対決できるって楽しみにしてたのに、残念だな」
 ちゃんと感情を込めた声色。こういう世渡り上手なところは、いつもながら感心する。
 得な奴だと思う。
「オレはお前がスタメンなのが不思議だよ」
「なんで?」
「相変わらず部活より、掛北のコーチと掛川の追っかけで忙しいんだろ?」
 普通そうだろう。
 自分の部活の時間を削って、卒業した高校の指導はするわ、お気に入りのチームの試合毎に観戦しに行くわで、普通だったらつるし上げされないか?
「ま、実力かな」
 痛いところを突かれたと一瞬だけ顔を顰めた後で、すぐに笑顔が出るところなんて、流石というか……
「時々な、お前が羨ましいよ」
 思わず本音が出てしまう。
「なんで?」
「オレはそこまで器用じゃないから」
「器用?」
「いいよ、聞かなかったことにしてくれ」
 ピラピラと手を振ると、不思議そうな顔をしながらも、斉木は話題を引っ込めてくれた。

 本当に世渡りの上手い奴。
 だけど憎めない奴。

「ま、試合頑張れよ」
「応援してくれるのか?」
「ば〜か、誰がライバル校の応援なんかするかよ」
「頑張れって聞こえたけどな?」
「勝てとは言ってない」
 素っ気なく言ってやると、なぜだか斉木は嬉しそうに笑った。








 ■ 3.三人 ■


また加納がチケットをくれた。
ただし今回は、オレの方もリーグ戦途中だというのに気を使ってくれてか、郵送で送ってきた。
寮で同室のやつ分まで入っているあたり、絶対に来て欲しいということか。
ここ一番という大切な試合の時にばかりに呼ばれるのは、よっぽど例の「ジンクス」とやらを信じているらしい。
そこで、ちょっとした悪戯心が湧いてしまった。


そして試合の日――


試合を終え、待ち合わせ場所の関係者用駐車場に現れた加納は、オレに小さく手を上げて挨拶すると、隣に立つ斉木に少しだけ顔を顰めた。
「…来てたのか」
斉木に掛けた加納の声には、疲労の色が滲んでいる。
それに気付かなかったのか、斉木は楽しそうにニコニコと笑う。
「おう。今日のゲーム、苦戦だったよな。勝って良かった!」
言いながら勢い良く、加納の肩をバンバンと叩いた。
複雑な表情の加納と、ご機嫌な斉木。
理由を知っているオレは、声を殺すことなく思いっり笑わせてもらった。

「ジンクス〜ぅ?」
ハンドルを握りながら叫ぶ斉木の声に、オレの笑いは止まらない。
ヒイヒイ笑い続ける後部座席のオレを、斉木はバックミラー越しに睨みつけ、加納は大丈夫かと背中を撫でてくれている。
「だが現に…お前が応援に来てくれると、ほとんど勝てたためしがない」
再びボソリと呟いた加納は、今度は溜息までもオマケにつけてくれた。
それがツボにはまって、オレはさらに抱える腹の角度を深くしてしまう。
「今日は勝っただろ!」
「それは…内海もいたから」
ちらりとバックミラーを覗くと、思いっきり拗ねた斉木と目が合った。反射的にウインクしてやると、ぷいと顔を背けられた。
「その《勝利の女神》がアクセルが踏めないからってんで運転手にさせられたってのに、酷い言われようだな」
捻挫が意外に酷くて車の運転が出来ないとボヤけば運転手役を買ってくれるとだろうと踏んだ上での作戦だったのは、斉木にも加納にも絶対に言わないでおこう。
ちょっとだけ罪悪感はあるけれど。いいじゃないか、三人で会うのも久しぶりなんだから。
オレの背中を撫でる手を止めて、加納が斉木へと頭を下げる。
「……すまん」
「フンっ!」
怒っている斉木と、なぜかへこんでいる加納。―ここはやはりオレ様がフォローに回る出番だろう。
バックミラーを見つめ続け、ようやく斉木の視線を捕らえることに成功するとにっこりと微笑んでやる。
「仕方ないじゃないか。お前、ダンナの試合を見る時って、たいてい相手のチームのほうに思い入れがあっただろ?」
瞬時に斉木の目が伏せられ、ついで車は速度を落とし路肩に駐車した。
ゆっくりと後部座席にいる俺たちのほうに振り返る。
「…どういう意味だよ」
「…そのままの意味だけど?」

しばしの沈黙。

そして自然に全員がクスクス笑いを始めた。
「仕方ないか、あのころのオレって、結構露骨だったしな」
「おかげで高校最後の大会が県予選どまりだ」
「あの後なぜか愚痴られたんだぜ。オレが受験勉強優先で応援に行かなかったせいだって」
思い浮かべるのは藤色vs赤白のユニフォームの対戦試合。掛川相手に加納が勝利したのは、斉木が久保の葬儀に出るために不在で、オレが観戦していた3年の夏だけだ。
思い出してみれば結構長い「ジンクス」じゃないか?
「仕方ないだろ。あのチームは《特別》だったんだから」
思い出に浸ったま囁く斉木の台詞に、オレ達もそっと頷く。
神谷が日本を離れ、掛西トリオもそれぞれの未知に巣立った今、掛川を包んでいた『奇跡』と言う名のオーラは一気に薄れた。
そして『伝説』へと姿を変えた。
「そう言やオレ達、結局あれには勝てなかったっけ」
「そ。だからダンナのジンクスも気のせい」
「…そう…かもな」
三人で辿り着いた決着点。

微妙な納得を得て、斉木は再び車を発進させた。
信号にも引っかからず、順調に道程は進む。

「それにさ、もうひとつ思い出せよ」
隣に座る加納と、バックミラー越しの斉木がオレを見ていることを確かめてからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「オレ達が同じチームになったときって、恐ろしいほどの勝率だろ?頼りにしてるぞ、相棒ども」
全員の目が、優しく笑った。





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三巨頭ネタで、突発的に書いていたものです。内海が好きv
結局、掛川でオチているあたり、趣味が出てしまいました。