暦の上での季節は夏。
トシは全身にキラキラ輝く朝日を浴びて、通学路を小走りに辿っていた。
世界が眩しい。
必殺技を手にして仲間の元に戻って来れた喜びが、取り巻く全ての世界を極彩色に染め上げていく。
校門をくぐり、真っ直ぐに部室に向かう。
「おっはよ〜っ!」
元気良くドアを開けて―
途端に世界は色を失った。
本能が『入りたくない』と告げている。
空間が歪んでいるような違和感。
―何が一体?
足が竦んでしまったトシの腕を、入口のすぐ横に控えていた何者かの手が捕らえた。
あっという間に室内に引きずり込まれ、暖かな胸に抱き込まれる。鼻を突くのは、嗅ぎ慣れたボディシャンプーの香り。
―この匂いは……?
恐る恐る顔を向けると、やはり自分を捕らえたのは馬堀だった。
だけど何だか雰囲気が……?
馬堀は微笑んでいた。でもその笑みはどこか壮絶で……。
「ま……ほり……?」
問う声が震えてしまう。
馬堀はそんな怯えの色を浮かべるトシの背に優しく腕を回すと、身体を引き寄せ密着させて、耳元に吐く息で囁いた。
「スペインから、女の子が来たんだってね」
ギクリ、と大きく瞳が開かれた。
「昨日の夜、お前ん家に泊まったんだってな」
ギクギクッ! と身体が跳ねる。
「で、その子なんだろ?空港で別れ際にキスしてきたってのは」
ギクギクギクッ!! と跳ねが痙攣に変わる。
心臓への三連発。凶悪な笑顔を浮かべたまま瞳の奥を覗いてくる馬堀に、トシは今にも射殺されそうだ。
「な……そ、そんな事……」
「ちゃ〜んと証人がいるんだ」
馬堀がチラリと流した視線の先に居るのは、涼しい顔をしたカズヒロだった。
さては……!
「カズヒロっ!?」
しかし睨まれてもカズヒロは怯まない。歩み寄って馬堀の背後から伸ばした手をトシの肩に置くと、振り向いた馬堀に不敵な笑みを送った。
「ほらね、本当だったろ?」
だから諦めろと瞳で語る。
イザベルが日本に来たのは実に好都合だった。これでトシを馬堀の毒牙(同性愛の罠)から救い出せる。
そんなカズヒロの挑発を受け流し、再び馬堀はトシの瞳を覗き込んだ。
「トシ……信じてるから」
だけど言葉は優しくても、笑顔の方は危険の域(レッドゾーン)に達している。ゴゴゴと擬音がしてきそうなオーラを背負う様は、はっきり言って怖い!
何とか機嫌を直させようと、トシは決死の覚悟で微笑みを造り言葉を紡いだ。
「皆で話してたら夜遅くなっちゃって、だから泊めただけ。本当になんにも無かったから」
「うん」
「ほんと〜に本当だから」
「ただ泊めただけ…だよね」
「そ、そう。目が覚めたら隣で寝てて」
―墓穴堀り。
「隣で…って、トシぃ……?」
気が付けば後の祭り。ポロリと零してしまった問題発言は、馬堀の精神を粉砕するには十分すぎる物だった。
「! 痛っ」
背中に回された腕に力が込められて、苦しいぐらいに抱き締められた。息が…出来ない。
「トシ……」
と〜っても優しく、怖い囁き。
ゆっくりと唇が近付いてくる。
―キスされる!
思わずギュッと目を瞑る。
怖い…。こんな風にされるぐらいなら、怒鳴られてド突かれる方がずっとマシだ。
―無実なのにぃ〜!
助けを求める無言の叫び。
その時―
「やめんかっ!」
怒声一発。
次いでトシの身体は、救いの主の腕の中に引き寄せられた。
「神谷……さん」
「大丈夫か?」
助け出してくれたのは、すっかりこんな役目が身に付いてしまった神谷だった。
心配げに顔を覗き込まれ、トシが安堵に弛緩する。
神谷はトシの無事を確認すると、改めて馬堀と、次いでカズヒロを睨み付ける。
グラウンドに居たので事情は知らないけど、このメンツでこの状況だと考えれば、直感的に毎度の恋愛騒動だと判断出来た。
馬堀がトシに仕掛けた恋を、親友である平松と白石が反対する気持ちも良く解るのだけど……男同士で真剣な恋愛が成り立つことを知っている身としては、頭の痛い問題だ。
と、いつもなら騒動の輪の中に居る筈の白石の姿が見えないことに気が付いた。
「白石は?」
「白石先輩ならまだ来てません」
告げたのは小菅だ。流石この個性の強すぎる掛川で、一年ながらレギュラー入りをした男(それもトシのファン……)。見かけによらず度胸がある。
「で、今日の原因は?」
「田仲先輩が、外人の女の子と浮気したそうです」
と答えたのは、またしても小菅……。
度胸と言うよりは命知らずなのかも知れない小菅の発言に、場には沈黙が降り立った。
―田仲が……浮気?!
神谷は驚くと、まだ自分に寄りかかったままのトシを見た。
……はっきり言って、馬堀ならともかく、トシの方にそんな甲斐性があるとは信じられない。
疑いの視線を送られたトシは、縋るような目で首を横に振り否定している。
―と言うことはまさか……。
「……まさかお前の方が、ヤラれちまったのか?」
ナイス意見。
静かな場に放たれた神谷の一言に、一同は思いっきりコケた。
トシに至っては呼吸困難を起し、失神寸前だ。
確かにトシが女の子に迫るよりは、女の子の方に押し倒される方が信憑性がある。
外人の女の子に無理矢理奪われる……。
羨ましくも恐ろしい想像が、当りを支配する。
その時、辺りの静寂を打ち破るように、のんびりとケンジが現れた。
「うい〜っす! ありゃ?どうしたんだよ」
脳天気な声に、一同が我に返る。
ケンジは場の雰囲気がちょっと変だとは思いつつも、先輩の登場に慌てて挨拶を送る一年を軽くあしらって、真っ直ぐに自分のロッカーに行こうとする。
その時になって漸く、神谷の陰に隠れるようにしているトシを見つけた。
途端にニンマリとした笑顔が浮かぶ。
「おうトシ! スペイン娘とは上手くいったかよ」
突然発せられた核心に触れる台詞に、皆の注目はケンジに移る。
「け……ケンジ」
やっと息を取り戻したトシの『訳が解らない』と言う表情を読み取って、ケンジは豪快に笑った。
「夏姉に夜這い掛けたらあの娘が寝ててよぉ。んでお前の部屋に行ってもらったってワケ。
あの娘お前に気があるから、ちょうど良いと思ってさ」
犯人発見。トシの怒りが静かに、そして激しく燃え上がって行く。
「お前のせいでぇぇ〜!!」
涙の滲んだ大きな瞳が、ギリリと吊り上がる。
このときになってケンジは漸く、部室内に居る馬堀やカズヒロ、果ては神谷を始めとする部員一同のジト目が自分に注がれていることに気が付いた。
―不穏な雰囲気。額に一筋、冷や汗が浮かぶ。
「あれっ?」
「ケンジっ!」
緊急手配・配置OK・攻撃開始(アタック)!!
トシと馬堀が掴みかかる。逃げようにも退路を神谷達に塞がれて、ケンジは部屋の中央に引きずり倒されてしまった。
更にはカズヒロまでが加わって、すぐに叫び声とバタバタという物音が外まで響き渡る。
部室内にいた部員は、事の成り行きに興味津々という風に遠巻きに見守っている。
その中で神谷だけは、一人冷静に溜息を吐いた。
『久保ぉ……オレにばっか、こんな役目押しつけやがって……』
恨みたくても恨めない大切な人の姿を思い浮かべ、もう一度溜息を吐いた。―どうにも自分の人生は『10番』に振り回される運命にあるらしい。
ゆっくりとドアを開け部室を出ると、騒動を聞きつけグラウンドから戻ってきていたメンバーと顔を見合わす。その中に大塚と赤堀の姿を見つけてアイコンタクトを送った。
神谷の意図を察して、二人は揃って肩を竦め了解の視線を返した。
皆に向かって神谷の指示が飛ぶ。
「着替え終わってる奴はランニング。大塚と赤堀はオレに続け。他は待機!」
素早く動けるのはチームワークの賜物だ。ランニング班はすぐに駆け出し、神谷達は部室に突入、待機班は外部から部室内を隠すように壁を作った。
そして数分後―
取り押さえられた掛西トリオ+馬堀は、神谷から脳天ゲンコツ落としの刑を受け……。
朝練の間中、馬堀とケンジはトシに無視され続ける事となった。
終わり 2001.4.29.
…もしかして続くかも…。その時はきっと、18禁!うわぁ…(笑)