新設校のグラウンドには、ナイター設備なんて高額な物は、もちろん無い。
だからオレ達は空が明るい時間帯だけ、部活動をしている。
朝はだいたい7時から。夜は足元のボールが見づらくなるまで。
夏の間は太陽が出ている時間が長くて助かっていた。
でもこの頃は、7時になる前に暗くなってしまう。
心情的には一晩中だってサッカーをしていたいのに、夜の闇は容易く視界を狭くする。
そしてサッカーが出来なくなってしまったオレの視界には、神谷の姿だけが残る。
「なぁ、もしかしてあれ、満月?」
並んで歩く帰り道、神谷が東の空を指差して聞いてくる。
示す方向を目で追うと、オレンジ色に膨れあがった月が掛川城の後から顔を覗かせていた。
「違うよ。中秋の名月なら明日だろ?」
確か昨日、母さんがそんなこと言いながら、ススキを花瓶に生けていた。
「――ん、そういや少し左が欠けてるか」
目を細めて月を確認していた神谷が、納得したように首を振った。
ほんの少し歪んだ月は、まるでオレの心のようだ。
満たされているようで、まだ最後の欠片が足りない。
「明日、みんなでグラウンドからお月見しようか?」
神谷の肩に手を置いて提案すると、一瞬愉快そうな笑顔が浮かんだ後に、口元が不敵に歪んだ。
「いい話だけど、流石に学校じゃヤバイだろ」
コップを掴んで何かを飲み干すようなジェスチャーをして、悪戯めいた目配せをしてくる。
ああ、そうか。月見なら宴会だよね。
「じゃ、オレんちでやるか?」
「お、ラッキー。お前のお袋さん、料理旨いからな。後でみんなに連絡するよ」
みんな、ね。
どうせなら二人きりで過ごしたいけど。
だけど『酒と摘みは手分けして持ち込む』とか、嬉しそうに計画を進めていく神谷を見ていると、自分の我儘なんか堂でも良くなっていく。
初めて会った時、みんなの輪の中にいながら、独りで生きているような雰囲気を纏っていた姿が嘘のようだ。
神谷の笑顔は今日の月よりも明るく輝いて、満ち足りているように見える。
笑みの浮かぶ唇に触れたい衝動を抑えるために、あいている方の手を強く握った。
幸福を感じる心のすぐ側に、たまらない寂しさがある。
この笑顔はオレが取り戻させたという喜びと、たぶんいつかオレと別の道を歩んでも、神谷はこの笑顔を隣にいる人間に向けるんだろう。
それは当たり前のこと。
オレも神谷も仲間で親友である前に、自分の足で立つことが出来る個々の人間だから一生互いだけに寄添って生きていけるはずがない。
頭では理解している。
だけど――心はそれを否定したがっている。
オレが誰より神谷が大切なのと同じように、神谷にとっての一番はオレであって欲しい。
我ながらなんて醜い独占欲なんだろう。
「……久保? おい、聞いてんのか?」
神谷に呼びかけられて我に返る。
「ごめん、考え事してた」
素直に謝ると、少し怒っていた神谷の表情が、呆れたという風に弛んだ。
「明日の練習メニューでも考えてたんだろ」
その言葉を、ごまかすのに利用させて貰う。
「あ、バレた?」
小さく舌を出しておちゃらけて見せると、優しい笑顔が返ってきた。
「本当、サッカー馬鹿だよな。もっともオレも人のことは言えないけどな」
のどを鳴らすような笑い声が漏れている。
その響きが、身体にゆっくりと染みてくる。
神谷から与えられる笑顔と信頼は、オレを容易く幸せにしてくれる。
なのに――
満ち足りない。
まるで今日の月のようだ。
神谷の肩に置いたままの手から、温もりが伝わってくる。
その温もりをもっと強く感じたい自分がいる。
抱きしめて解け合えたら、この欠けた気持は満たされるんだろうか。
ゆっくりと月を見上げると、神谷もつられるように月を見上げている気配を感じた。
「満月じゃないけど、綺麗だな」
呟く神谷の声に、オレは頷けずにそっと目をそらした。
2005.10.02
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