「お、そういやお前、10月生まれだったよな」
練習を終えて着替えているときに、ふいに大塚がオレに問いかけてきた。
「11日だけど?」
答えると、途端にすまなそうな表情を浮かべる。
「悪い、過ぎちまったな」
軽く頭を下げながら、ポリポリと頭を掻いている。
そんな大塚の横にいた赤堀も「あ!」と小さな声を上げて、オレに頭を下げてきた。
「ごめん。おごるって約束してたよね」
「あ……ああ!」
今度はオレが声を上げる番だ。
そうだ、思い出した。確か去年の12月、大塚の誕生日にかこつけて忘年会を兼ねた宴会をしたときに、そんな約束をしたような気がする。
「ありゃ酒の上での約束だ。気にしなくていい」
「でも約束だし……」
顔に思いっきり『困った』と浮かべている大塚と赤堀を見ていると、なんだか悪いことをしている気になってきた。どうにかしようと考えて、気が付いた。
「先月、赤堀も誕生日だったろ? 何もしなかったからおあいこだ」
右手で大塚の、左手で赤堀の肩を叩く。背の高い二人に両手を差し伸べた形になって、少し背中が仰け反った。
笑いかけると、二人からあからさまにホッとした笑みが返ってくる。
「なんだよ」
ちょっと睨んで見せたら、今度は笑われた。
「やっぱ、なんかおごるわ」
「モスで良い?」
肩に置いたままだった腕を掴まれる。
いつの間にか、部室内のみんながオレ達を笑って見ていた。
選手権の静岡大会でのオレたちの調子はなかなか良い。
無事に一次トーナメントは勝ち抜いた。今は国体期間中だから休みだけれど、来週からは二次リーグが始まる。
この休みのおかげで、横賀に削られた足も完治した。新入りの馬堀も上手くチームにとけ込んでいる。
残りの心配は田仲のメンタル部分だが、これは残念ながらすぐにどうこうできる問題じゃない。久保がいなくなってしまったことで自分を見失っている。
あいつがいなくなって約4ヶ月。
そんな生活に、どうにもまだ慣れない。
この前の誕生日だって、嬉しいと言うよりも、あいつより年上になったことがショックだった。
ずっと一緒にサッカーをしていけると思っていた。
いつか現役を引退することがあっても、一番近い場所にいられたらいいなと漠然と考えていたし、それが当たり前だとも思いこんでいた。
あの夏の日に全て終わってしまった願いを、まだ吹っ切れないでいる。
これから出来るのは、想い出をずっと抱えていくことだけだ。
もっとも吹っ切れないでいるのはオレだけじゃない。
結局全員参加になったオレと赤堀の合同誕生日祝いで、誰かが口にした『久保』の名前が、一瞬の沈黙を呼び起こした。
あいつのことを知らない馬堀が困った表情を浮かべているのに気付かなければ、たぶんあの場から逃げ出したくなってしまっただろう。
ことあるごとに考える。
自分の病気のことを知って、なぜあいつはあんなに真っ直ぐに生きられたんだろう。
命を縮めていることを解っていながらサッカーを続け、何でもないような顔をオレたちに向けられたんだろう。
哀しい嘘を付き続け、笑い続けて……。
オレにだけは告げてくれて良かったのに。少しでもお前を楽にさせてやれたのに。
だけど…… 言えなかった気持も解る。
それが余計に辛い。
家に帰ると、いつもと少し雰囲気が違うことに気付いた。
客用のスリッパが出たままになっている。
居間を覗くと、こたつの上にオレの分の夕食がラップをかけて置いてあり、その横に紙袋があった。
何だろう?
袋を取り上げる。中に細長いものが入っている。
袋の口を開けてみると、それは青色のリボンで作った小花がついた箱だった。中学入学の時にもらった万年筆セットを思い出させるような箱だ。
袋の底、箱の下に小さな封筒が見えた。
心臓が止まるかと思った。
封筒には何も書いていなかったけれど、誰からなのか解ってしまう。
カタン
背後で音がする。
「あ、篤司、やっと帰ってきたのね」
お袋が居間に入りながら話しかけてきた。
「今日ね、久保さんのご両親がいらしてね、遺品を整理していたらお前へのプレゼントを見付けたからって届けてくださって――」
お袋の話を遮るように、居間を飛び出した。
プレゼントの入った袋を抱え、真っ直ぐに自分の部屋に向かう。
音を立ててドアを閉め、鍵を掛ける。
一人きりの部屋で、立ったまま袋を探った。
封筒を取り出すと、それはたぶん久保のご両親のどちらかが開けてみたのだろう、いったん封を開けた後に閉じ直した後がある。
その跡を広げるように封を切ると、そこにはHAPPY BIRTHDAYと銀色の箔が押された水色のカードが入っていた。
二つ折りのそれを開くと、見慣れた懐かしい字が書かれていた。
『 To.神谷
誕生日おめでとう。
久保嘉晴
PS.これでまた、同じ年だな。』
思わず膝が折れ、その場に座り込む。目と鼻の奥が痛かった。
カードと封筒を床に置き、今度は包みを取り出し包装紙を剥ぐ。
現れた細長い透明なプラスチックのケースの中には、サッカーボールをデザインした模様が入った腕時計が時を刻んでいた。
生きている
規則正しく動く秒針に、強くそう思う。
久保が命を終えても、こいつは生きている。生きてオレの手の上にある。
身体の内側に押さえていた痛みが、涙になって溢れてきた。
もう泣かないと決めていたのに、勝手に涙が流れていく。
ケースの上に落ちる涙の滴の向こうから、あいつとの想い出が一気に押し寄せてくる。
そう、この想い出が消えない限り、あいつはオレの中で生きている。
時は止まってなんかいなかった。これからも、オレたちはずっと一緒だ。
「ありがとうな」
時計に向かって囁いて、泣きながら笑う。
すぐ隣に、微笑んでいる久保の気配が感じられた。
翌朝は、見事な晴天だった。
空の吸い込まれそうな青色が、絶好のサッカー日和だと教えてくれている。
いつもより早い時間に、学校へと向かう。
肩に掛けたスポーツバックの中には、ケースに入ったままの時計を仕舞ってある。
今の気分は……メチャクチャ強い相手と戦いたい。
身体が、心が、あの興奮を求めている。
オレの中にいるあいつと一緒に、大好きなサッカーを楽しむために。
終わり 2003.11.03
神谷の誕生日から思いっきり遅れたのに、すみません、言いたかったことの半分も書けませんでした。雰囲気を読んで頂ければ幸いです。
腕時計は、スウォッチ社のワールドカップバージョンをイメージしています。
|