親父もお袋も、実花も眠ってしまった真夜中なのに、まだオレ達は月見を続けていた。
「コレが日本の『ワビサビ』というモノなのダな」
流石ドイツ人。アルコールには馴染んでいるらしく、日本酒を4合空けても顔色がほとんど変わっていない。いや、襟元から見える胸元だけがほんのり桜色か。
「酒、注ぎ足そうか?」」
半分以上無くなった一升瓶を持ち上げ尋ねると、
「アア、すまん」
既にほとんどからになりかけたコップを差し出してきた。
伸した腕の、袂の奥に包帯が見える。
試合中に腕を痛めて、全治2週間なんだ。こいつは。
スポーツドクターならドイツにいくらでも腕の良いのが居るはずなのに、ルディはわざわざ平松の親父に治療して貰うために来日した。
どうせなら病院の個室にでも大人しく収まってりゃいいのに、市内で一番高級なホテルに豪勢な部屋を取り、そこから病院に通っているように見せかけて……
こっそりと部屋を抜け出しては、オレの家に泊まりに来る。
ドイツからこいつを追いかけてきたパパラッチ達は、可哀想に誰も泊まっていないホテルを遠巻きに観察しているって言うわけだ。
ルディ曰く
『一度日本にホームステイしてみたかった。おマエのお母サンの料理はウマい』
誉められてお袋はいい気になって毎晩でも来るようにと誘うし、酒を酌み交わせる人間が増えて親父は無口ながらも歓迎し、実花はすっかりミーハー気分で盛り上がっている。
そしてオレはと言うと……
正直言って最初は、自分と似たような顔とヒネた性格を持つこいつは苦手だった。
似てるくせにオレよりも大人びているところも気にくわなかったし、オレの知らない久保を知っていることにも腹が立った。
ルディだって、オレのことは気にくわなかったはずだ。
だけどそれは、きっとお互いが似て見えてたから、反発していただけなんだろう。
よくよく付き合ってみれば、オレとこいつはそんなに似ていない。
目つきの悪さとニキビ面は仕方ないことだとしても…
プレイスタイルも、筋肉の付き方や骨格も、似ても似つかない。
共通点は――
サッカーを愛していることと、久保と一緒にサッカーをしていたと言うことだけ。
だけどその二つは、二人共に一番大切な想いであって
それを語り合える喜びに、いつの間にかわだかまりは消えた。
それどころか一緒にいると心地良い。
「しかし、ナゼ月を見るのにこんなモノをたべるのカ?」
ルディは目の前に山積みにされた団子を、不思議そうにつついた。
「本当は餅なんだろうよ」
「モチ?」
「ほら、月でウサギが搗いてるだろ?」
月の模様を指差してやると、ルディの顔には益々???印が浮いた。なんだ? 解らないのか?
「ウサギ? なんで?」
あれ、本当に解らないのか。
「月の黒い影、二股になってるのがウサギの耳。で、全体の模様を日本では『餅を搗いているウサギ』って見るんだよ」
「耳……、ああ、ソウカ、それは解っタ。でも餅つきっテ?」
「!、ドイツにゃ餅つきは無いか。餅は解るか?」
尋ねると、ルディは首を大げさに竦めて否定した。……仕方ない。明日の晩飯には、お袋に頼んでおいて雑煮か磯辺焼きでも作ってもらおう。
「まあとにかく、月にはウサギが住んでるってのが日本の言い伝えなんだ」
「フーン……」
ルディはコップの酒を煽る勢いで、月を改めて見上げた。
オレも倣って、酒を飲みながら月を見る。
黒いウサギが白い光の中で跳ねている。
頭の中で、子供の頃歌った童謡が流れ始めた。相違やウサギが跳ねたのは、十五夜お月さんを見たからだよな。
しばらく互いに沈黙する。
外から虫の音が流れてきた。……ああ、秋なんだな。
気持ちの良い静けさが、なぜだか嬉しい。
「……オレの国では、アレは薪拾いのハンスだ」
「ハンス?」
聞き慣れた名前。あの人懐こい奴の名前じゃないか。
「おまえのチームメイトと同じ名だな」
「ソウ言えば、ソウダな」
クスクスと笑い出す。つられてオレも笑ってしまった。あのハンスが、月で薪を拾っているビジュアルが脳裏に浮かんで、笑いが止まらない。
え? でも
「人間には見えないぞ?」
「ウサギの耳ダと言う影を下向きに見ろ。それを足だと思うト、薪を背負っている男に見えるダロ?」
言われて持っていたコップを置くと、ごろんと横になって見る角度を変えてみる。
そう言われてみると、何となくそんな気にもなってくる。
「神谷、オマエ、何もそんな格好をしなくテモ!」
ゲラゲラと笑われてしまった。
おお、どうやらやっと酒が回ってきたみたいだな。ルディのヤツ、真っ赤じゃないか。
しかしオレも、どうやら結構酔っぱらっていたらしい。こうやって横になってみると気持ち良くって、起きるのが嫌になってしまった。
と、突然目の前に人影が落ちてくる。
ドサアっと華々しい音を立てて……
オレのすぐ目の前に、やはり横になったルディが居た。
ただし体勢は反対。顔は真正面を向き合っているけど、足があるのは反対方向。つまりは逆さ向きに横になっているという寸法だ。
愉快そうに笑う赤い顔の、目元が更に赤い。
「働き者ダケど欲張りダッたハンスは、安息日の日曜日にマデ薪拾いニ出掛けてしまい、それを諫めに来タ神サマに『働くノハ勝手ダロ』と居直っタ。ダカら神の怒りを買っテ、月に飛ばサレテ永遠に薪を拾うのサ」
笑いながら歌うように語る口調に、こっちまで笑いが止まらない。
「馬鹿なハンスだな」
「可哀想なハンスだ」
「意地っ張りだな」
「休むべき時に休まナイからダ」
ケラケラと笑い続けて、畳の上を転がりまくる。
いつの間にか顔が触れるばかりに近付いてしまった。
そして――
ルディが首を伸すようにして、オレの頬に唇で触れた。
「!?」
故意か偶然か?
計りかねて思わず笑いが止まってしまったオレの目の前に、今度はルディののど仏がアップで見えた。
次の瞬間、確かに唇に湿った柔らかい感触があった。
キス……なのか?
だけどそれも一瞬のこと。
ルディは笑いながら、また転がった。一回転して距離が離れた所で笑い転げている。――それでも怪我をしている奉納では庇いながらなのは無意識のプロ根性だろう。
「休む時には休むベキなのダ。オレみたいに!」
……おい、おまえ
「ルディ……ここには休むために来たのか?」
「治療のつもりダッタのダガ…」
ニッコリと、オレとは違う笑顔が形作られる。
伸びてきた無傷の方の腕が、オレのこめかみに触れた。
「ルディ?」
「オマエの側は、落ち着くナ」
嬉しそうに囁いて、そのまままるで小さなガキのように突然眠ってしまった。
オレのこめかみに触れていた指先が畳の上に落ちる。
幸せそうに微笑んだまま眠るルディの顔が、月明かりで照らされる。
その光景に……
不思議とオレも、とても心が落ち着いた。
十五夜の光の下、二人でだらしなく横になる。
こんな休息も良いもんだと思いながら、いつしかオレも眠りに落ちていた。
終わり 2001.10.1.十五夜の夜に。(でも外は雨……)
…私、壊れてますね。色気も何もない話ですが……イカレた方たちに捧げますv |