花(紫陽花)



 早朝の部室には、まだオレたちふたりしかいない。

 あまり言葉はしゃべらない。
 そんなに見つめ合ったりもしない。
 ただ、外の世界が目を覚ますのを待っている。

 窓のすぐ外、少し低いところに紫陽花が咲いていた。
  昨日まではまだ淡い水色だったのに、今日は空の青を滲ませたみたいに見える。




「何見てる?」
 静寂を破って、神谷が訊いてきた。
 振り向くと先程まで読んでいたサッカー雑誌を広げたまま机に置き、その前で頬杖を付いてオレを不思議そうに見詰めている。
「紫陽花」
 反射的に窓の下を指さしながら答えると、不思議そうだった表情が微笑みに変わった。
「のんきだな」
「?」
「なんか、無表情になってるから、心配しちまった。あ〜あ、損した」
 にっかりと笑うと立ち上がり、オレの方に歩いてきた。
 練習用のTシャツが、窓から差す朝日に照らされて白く輝いている。
 光に揺られながらオレの横に立つと、少しかがみ込んで窓の外を見た。
「お、綺麗に咲いてるじゃん」
 間近で発せられる声が、とても気持ちいい。
 光と声に釣られてもう一度紫陽花を見る。青色が脳裏に鮮やかに焼き付いていくようだ。
「ああ、綺麗だ」
 花も、光も、声も――この空間に在る全てが、なんて鮮やかで綺麗なんだろう。



 そのまま、ふたり並んで紫陽花の咲く外の世界を眺め続ける。

 時間の流れが、やけにゆっくりと感じられる。
 誰にも邪魔されないように息を潜め、 ふたりだけで早朝のまどろみに沈み込む。
 時々揺れる花と葉が、時間が止まってしまっていないことを教えてくれた。



 どのくらいそうしていたんだろう。
 優しく続いていた沈黙は、神谷が窓を開けることで破られた。
 サッシ窓がきしみながら明くと同時に、太陽の香りがする風が吹き込む。
 風は、外の世界が動き出したことを教えてくれた。

 神谷がゆっくりと窓の外に手を伸ばす。
 指先が、紫陽花の空色に触れた。
 つられてオレも手を伸ばし、神谷のと同じ紫陽花に触ってみる。
 柔らかく薄い感触なのに、不思議と生命力を強く感じとれる。
 なぜそんな風に思えるんだろうという疑問は、同じ花に触れていた神谷の手が離れていくのを見て取って解けた。
 この感覚の広がりは、きっと神谷が側にいるからだ。
 なんて幸せな感覚なんだろう。
「もうじき、梅雨だな」
 神谷の呟きに、ただ頷いて答えを返す。
 もうすぐ季節は梅雨になる。
 そしてその後はオレ達にとって初めての夏がやってくる。
 目線で合図を送り部室を出ると、オレたちはまだ誰もやってきていないグラウンドへ向かった。



 グラウンドへと肩を並べて歩きながら、ふと考えた。
 明日あの花は、今日と同じ色でいてくれるのだろうか。




                           終わり 04.05.30




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