普段の時ならば住宅街の端にあるその公園は、逢瀬を楽しむ恋人たちや散歩をする人々の発する柔らかい雰囲気に包まれている。
然し、今夜は違う。
夜の闇と雨の弾幕。
破壊された街灯が断末魔の点滅を繰り返す下、赤と蒼の炎が交差する。
辺りに漂う気配は、紛れもない『殺気』。
「てめぇ、いい加減にしやがれ!」
「……聞こえんな」
雨音に途切れながらも耳に届く声は、その炎の色と同じように、熱く、冷たい。
激しい雨が視界を歪ませても、相手を見失うことはない。例え伸ばした指先さえ見えない状況でも、身体の全ての間隔が教えてくれる。――あいつはそこにいる。
全身を駆け巡った『気が練り上げられて、灼熱の炎を生み出した。
瞬間、打ち付けていた雨が蒸発し、霧となる。
「死ね!」
「燃えちまいな!」
命を吹き込まれた炎が、獲物の喉笛を狙い伸び上がった。
号砲が、響く。
二人とも攻撃と同時に防御に入るが、放たれた炎を避けきることは不可能だった。
掠める勢いで、灼熱の舌が肌をなめる。
皮膚の焼ける胸の悪くなる匂い。
押し殺した叫び声。
直撃することが出来なかった二つの炎が、悔し紛れに残り火で背後の植木を燃え上がらせた。
その火もすぐに、激しい雨が消して行く。
――――――――
点滅を繰り返していた街灯が、遂にその寿命を終えた。
風呂上がりの髪の水気を拭きながら、紅丸は冷蔵庫から冷えたビールを取り出した。
お気に入りの赤と白の缶。プルタブを開けると気持ちの良い音がする。
一口飲むと冷たく発泡した液体が、ほのかな苦みと甘みを与えてくれた。
「やっぱり風呂上がりは、これに限るねぇ」
満足げに呟きながら、場所を居間に移動する。
テーブルの上から京と飲み散らかしたビール缶を片づけるのは、面倒だから明日にした。新しく缶を置くスペースだけを手で払って確保し、ソファーに身を沈める。
何気なく目をやった窓の外は、豪雨に変わっていた。風呂に入る前までは普通の雨だったのに……
「京の奴、帰れたのかな。電車止まってんじゃないか?」
声は心配そうでも、その表情は何処か悪戯めいていた。
例え仲間相手でも、楽しむネタは徹底的に楽しむのをモットーにしている。やっぱり人生は楽しい方が良い。
様々なパターンを想像して笑っていると、ドアフォンのベルが鳴った。
「おいおい、まさか本当に戻ってきたんじゃないだろうナ」
面倒くさそうに立ち上がり、受話器を取り上げる。
「こんな遅くに、誰ちゃん?」
『俺だ。悪いけど、服と傘、貸してくんねぇか?』
返ってきたのは本当に京の声だった。
思わず吹き出してしまう。
「いいぜ、上がって来いよ」
ロックボタンを解除し、マンションの扉を開けてやる。
エレベーターが上がってくる時間を念頭に置いてドアの前で待っていると、やがて小さなノックがした。
どうからかおうかと考えながらドアを開ける。
「何だよ、風で傘でも飛ばされたか……! おいっ!!」
「途中で嫌な奴に待ち伏せ食らっちまってさ」
立っている京の全身は雨に濡れ、焦げてボロボロになった学生服から覗く胸元には酷い火傷があった。
自分の首に掛けたままだったタオルを被せて、部屋の中に招き入れる。
「また『八神』か?」
「愛されちまってるから、な」
おどけて首を竦ませて見せる京は、然しその顔を疲労の色で曇らせていた。
草薙京の去った後、八神庵は目を付けていた休憩所に入った。――壁もなく屋根の下に木のベンチが置いてあるだけの東屋だが、雨を避けるのには十分だ。
静かに目を閉じて残された『気』を集め、自分の炎で濡れていた全身を乾かす。
先程の戦いで受けた火傷の残る右手で前髪を掻き上げると、口元に歪んだ笑みが浮かんだ。
「殺し損ねたか……まあいい。次こそ、殺してやる」
口調は、何故か歌っているような響きを含んでいる。
ゆっくり開いた瞳には、月光のような冷たい響きがあった。
狂おしいほどの飢えが、喉から溢れる笑い声に熱を与えて行く。
早く、屠りたい。
――毎夜のように夢を見る。
冷たい骸を抱きしめる。
息を確かめるように口吻ると、血の甘さが広がる。
――そう、こんな楽しい夢はない。
惨めに這い蹲らせた後の辱めにしては、気が利いているではないか。
草薙一族への『殺意』が、一人の男に向けて凝縮され、青紫の炎となって立ち上がる。
炎に照らされて伸びる影は、黒い大蛇の形になった。
「京、キサマを殺す……」
うっとりした呟きは、雨音に掻き消された。
ずいぶんと勢いの弱くなった雨の中を、派手な色彩の傘をさした京と紅丸が駅へ向かって歩いていた。
遠目から見ればペアルックのようなスリムジーンズとTシャツに革ジャン姿。違うのはTシャツの色が京が白で紅丸は黒というだけ。
紅丸は長い金髪を後ろで無造作に束ね、帽子を被っていた。
「わざわざ送らなくっていいのによォ……」
「ダ〜レが野郎なんか送って楽しいかよ。タバコ買いに行くついでだって言ってんだろ」
「自慢のおっ立て髪にもしないでか?」
「いいんだよ、こんな時間、誰かが見てくれるわけでもなし…。速く歩けよ。電車なくなっちまうだろ?」
おどけながら帽子を目深に直し、軽口を叩く。
そんな紅丸の様子に、京の目元が優しく緩んだ。
「ありがとな」
「何のことだ?」
「独り言。聞き流せ」
「あ、そ」
何気ない風を装って、紅丸は京の言葉をさらりと流した。
革ジャンのポケットを探りタバコを取り出すと、最後の一本を口にする。次いでライターを出そうとするが、今度はどんなにポケットを探っても見つからない。
「どうした?」
紅丸の様子に気付いて京が訊く。
「ライター、忘れちまった」
くわえタバコのまま、困ったと肩を竦める。
「ったく、しょうがねぇなぁ。こっち寄れよ」
「?」
「ほら」
右手を突き出し、立てた人差し指に小さな炎を灯す。
一瞬息を飲んだ後、紅丸はにやりと笑った。
「親父さんが見たら、目ぇ剥きそうだな」
「いいじゃねえか。せっかくの特技なんだから、使わなくっちゃ」
「特技、ね。ま、そりゃそうだ」
納得をして、炎に顔を近づける。
軽く吸い込むと、うまい具合にタバコに火がついた。
「便利だな」
「特別サービス」
「サンキュ」
紫煙が雨に溶け込んで行く。
通りがかりの不良(ゴロツキ)から奪った傘をさしてタクシーを拾いに行く途中、何気なく振り向いた先にその二人の姿はあった。
立ち止まる二人の間に、小さな炎が灯る。
闇の中に一瞬浮かんだ顔を、見間違うことはなかった。
赤色の炎に照らされた横顔は、良く知った男の顔。
「草薙と……二階堂紅丸、か」
炎はすぐ消えたが、網膜に残像が焼き付いている。
「ふん、しぶといな」
言葉と裏腹に、気分は高揚して行く。
−そうでなくては、殺りがいがない。
闇の中に遠ざかって行く二人の背を見送る表情には、歪んだ笑いが浮かんでいた。
瞳を閉じて、先ほどの残像を確かめる。
闇の中に赤く浮かぶ横顔。
その伏し目がちの横顔に、死のイメージがダブる。
赤く染まった、穏やかで、静かな…死者の顔。
庵の軽く開いた口から舌が伸び、チロリと唇をなめた。
血が熱い。
喉の奥から、押し殺した笑いが零れる。
――今の内、キサマの言う『青春』とやらを楽しんでおけばいい。
その間、こちらは牙を研いでおこう。
一瞬の出会いに気付くことなく、京と紅丸は軽口を叩き合いながら駅への道を辿っていた。
紫煙を吐き出しながら、紅丸がニヤリと笑う。
「おまえらさ、本当は仲良いんじゃないか?」
「馬鹿言うなよ!」
「だって、楽しそうだぜ」
「お前はすぐそうやってナナメに見るんだから…」
「そうかぁ?でも毎週のようにじゃれ合ってるじゃん」
「じゃれ合うぅ〜?」
「殺すなんてお互いに物騒なこと言いながら、ちゃんと生きてんだろ?」
からかう紅丸の台詞に、京は思わず反論し損なった。
むっつりと黙り込んでしまった京の横顔を、道端の自動販売機の光が照らし出す。
年の割に幼い横顔に、不思議な影が差した。
「ま、ケンカなら仲良くやってくれ。お前の葬式なんてやってやんないからな」
「馬鹿言ってろ!」
すっかり拗ねてしまった京に、紅丸の笑いが深まって行く。
雨が降る。
それぞれの想いを包み込むように雨が降る。
深い闇に、夜明けの時は遠い。
――想いを制するのは、陽か、月か。
夢が−雨音に合わせて静かな狂気を歌い上げた。
END(1996.2.5脱稿)
作品情報:
サークル「長寿庵」さんからのゲスト依頼。
「勇敢な恋の歌」(1996.3.31発行)に掲載されたものです。
イラストは長庵さんと寿庵さんの合同。華麗なイラストを付けて頂いてうっとりしたものです。
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