僕は心の中に刃を持っている。
それは素晴らしく鋭い、諸刃の剣だ。
そっとしておく分には大切な宝物なんだけど、ちょっとでも触れようものなら、すぐに僕の心の中をずたずたに切り裂く。
刃の名前は『思い出』という。
「どうしたの、岬くん?」
ぼうっとしているところに、いきなり翼くんの笑顔が飛び込んできた。
心配そうな声とは裏腹に、顔中に笑顔を浮かべて真っ直ぐに僕の瞳を捕らえる。
慌てて目を逸らそうとしても、如何せん、どうやっても視線を逸らすことが出来なくなってしまった。
仕方なくにっこりと笑い返すと、翼くんはいっそう明るく微笑んで、僕の隣りに座り込んだ。
風が、八月に入ったばかりだというのに、もう初秋の香りをさせているように感じてしまうのは、気のせいなのだろうか。
蝉時雨(せみしぐれ)が風に乗って流れてくる。ミンミンゼミとアブラゼミ。あとはよく聞き取れないけれど、鳴いているところからは結構離れているから、あまり気にはならない。
思い出の多い、夏の大会は終わってしまった。
得たのは勝利。これからなくすのは友達。
この夏の間中、僕は孤独じゃあなかった。なのにもうすぐ、元の独りぼっちの僕に戻る。
「ねぇ岬くん。何でさっきから黙ってるの?」
静かな声が、セミの鳴き声と共に響く。
「ねえ、どうしたの?」
翼くんの問いかけに、どうしても素直に応えられない自分が居る。
「別に何でもないよ。涼しくなってきたなぁって、考えてた」
「まだ夏休みは残ってるよ?」
「でも僕たちの夏は終わっちゃった」
僕の言葉に、意外にも翼くんは解ったという顔をした。
「俺、ロベルトが好きだった。置いて行かれちゃっても、まだ好きなんだ。
……俺はいつまでもロベルトが好きだということ、忘れない。とっても大切なことなんだ」
「?……翼くん、何で僕にそんなことを言うの?」
だけど翼くんは答えてくれず、そのままゆっくりと身体を倒していき、草の上に寝ころんだ。
「気持いいよ、すっごく」
目を軽く閉じて、軽い深呼吸をしている。
「ごまかさないでよ。答えて、翼くん」
翼くんの瞳が、微かに揺らめいた。
「岬くんには言っておいた方がいいと思ったんだ。
俺、この夏のことは一生忘れない。
辛いこともあったけど、それだって宝物みたいにいつまでもキラキラして、俺の中から消えないよ」
そう言って、翼くんは微笑んだ。
いつものとは違う、印象的な……
翼くんの、こんなに寂しげな笑い顔は、初めて見た。
「俺、岬くんが大好きだよ」
とても真剣な眼差しが、僕を貫く。
『思い出』という名の僕の『刃』――その痛みにも似ている感情が、襲ってくる。
「俺、岬くんが大好きだよ。ロベルトも、若林くんも。……でも、大切だった人は、みんないなくなっちゃうね」
翼くんの目に涙が浮かんできていた。
笑顔のままなのに、それは確かに頬を伝っている。
夏の太陽のような笑顔と涙。翼くんの内面を垣間見せるような表情。
翼くんの代わりに、セミが声を高くして、泣いた。
「ねえ、翼くん」
サッカーボールを蹴りながら言う。
「なあに、岬くん?」
「僕、翼くんのこと、大好きだ」
綺麗にパスが通る。笑顔で翼くんが受け止めたボールは、すぐに一番いいところに返ってくる。
「ありがとう、岬くん」
こんなに強く、一つの場所から離れたくないと願ったことはなかった。
このままずっと、翼くんとコンビを組んでいたい。
「岬くん!」
大切な宝物。今までで一番鋭い、僕の『刃』
置いていきたくない。だけど、父さんを一人になんかさせられない。
わかっているよと言う風に、翼くんがゆっくりと頷いた。
ボールを蹴りながらセミたちの声の真ん中に突っ込むと、その声がまるで過ぎていく夏を悲しんで、何とか呼び止めているように聞こえる。
セミの声が、一層激しくなっていく。鳴くほどに季節は変わっていくのを知っているのだろうか。
僕たちの季節も変わる。ならば僕たちも、今は泣こう。
「次に会うときは、また俺とコンビを組んでくれる?」
「もちろんだよ」
もしまた会える時が来たら、きっと。
たとえ『思い出』がどんなに僕を傷付けようが、もうかまいやしない。
僕の心の『刃』、お前に負けないように、僕は強くなろう。
僕を好きだといってくれた翼くんのためにも、強くならなければいけない。
「翼くん!大好きだよ!」
僕の声は、降り注ぐセミの声に掻き消される。
それでも翼くんは、真っ直ぐに僕の瞳を覗き込んで、微笑む。
季節が変わる。
ボールを追いかけて、季節が変わる。
次に会う日を今から夢見て、ボールを蹴る。
答えはいつか時間が教えてくれるだろう。
僕たちの別れの日は、明日に迫っていた。
終わり
作品情報:
サークル名が「ECTOGENE」時代に書いたもの。
翼は今も好き。健全なゴールデンコンビに激LOVEです。
|