学術寄稿

 順天堂大学AS診で実施中の「ASの遺伝子解析研究」で採血済みの 検体数は、平成15年3月の時点で62です。最低でも250以上集める 必要がありますが、協力を呼びかけた他大学の検体数を合わせてもまだ 150程度です。近々、第3回目のご協力のお願いと、遠隔地の方には 宅急便による検体(血液)送付を実現化する予定です。ついては、 共同研究者の池川志郎医師に、研究の意義と現状についてご寄稿 頂きましたので、我々AS患者にとって、この研究がいかに大切な ものか、そして意義あるものにしなければならないかをご理解頂き、 改めてご協力をお願いする次第てす。

医療部長 井上 久


日本AS友の会の皆様へ

池川 志郎
理化学研究所・遺伝子多型研究センター・
変形性関節症関連遺伝子研究チーム・
チームリーダー


 いつも井上医療部長を通じて、ASの原因遺伝子の解析研究に 御協力頂き、ありがとうございます。研究の現状と展望について、 報告させて頂きます。


〔はじめに − 病気と遺伝〕
 ヒトのゲノム(全遺伝子情報)の解析が急速に進展しています。 まもなく(2003年4 月)には完全なシーケンス(塩基の配列。 遺伝暗号の『文字』)が決定され、発表される予定です。30,000-40,000 くらいあるとされているヒトの遺伝子のリストも近々できあがるでしょう。 このようなゲノム解析の進展により、病気と遺伝に関する考え方が大幅に 変わってきました。

 これまで、病気と遺伝、もしくは遺伝の関係する病気というと、 一つの遺伝子によって起こる単一遺伝子病のことでした。いわゆる メンデル式遺伝をする病気です。一つの遺伝子(疾患遺伝子)の有る 無しが病気を決定します。単一遺伝子病はみな稀(ほとんどが何万、 何十万人にひとり)で、ほとんどの人には遺伝は無関係でした。

 ところが、近年、”ありふれた”疾患(common disease)にも遺伝が 関係することが明らかになってきました。common disease=高血圧、 肥満、骨粗鬆症、変形性関節症など高頻度(多いものでは全人口の数10% にも上る)にみられる病気です。生活習慣病とも言われます。これらの 病気にも遺伝/遺伝子が関与することが明らかになってきました。
 これらの病気に遺伝が関係することは、これまで、素因や体質や血筋 などという言葉で漠然と捕らえられてきましたが、これらを分子の言葉で 語れる時代が到来しました。遺伝/遺伝子はもはや他人事ではなくなって きました。遺伝子抜きには病気のことを語れない時代になってきました。


〔多因子遺伝病〕
 これらのcommon diseaseは多因子遺伝病です。多因子遺伝病は、 遺伝因子=複数の感受性遺伝子と様々な環境因子(食事、運動、 ストレスなど)の総和の影響により発症します。これらは車の両輪で、 病気の成立には両方が必要です。どちらか一方だけできまってしまう わけではありません。両方を解明してはじめて、病気の全貌が明らかに なります。ゲノム情報の利用により、遺伝因子へのアプローチが可能な 時代になってきました。

 この場合の遺伝子(感受性遺伝子)は、あれば必ず病気になるといった ものではありません。発症の危険性(リスク)をほとんどは1.5 倍から 2倍、せいぜい4-5倍に増やすといった程度の影響しかない、いわば 危険因子(リスク・ファクター)です。
 しかし、その総和としては十分に大きな影響力を持ちます。例えば、 遺伝子が5つあって、これらが相乗的に働くとすると、ひとつひとつは リスクを2倍にするに過ぎなくてもトータルでは、2×2×2×2×2 =32倍のリスクになります。

 ASも多因子遺伝病です。私達はその遺伝的要因=原因遺伝子を みつけようとしています。


〔ASの原因遺伝子に関して、これまでに分かっていること、 分かっていない事〕
 ASの原因遺伝子としては、HLA-B27 が知られています。HLA (Human Leukocyte Antigen: ヒト白血球抗原)とは細胞膜上に 存在する蛋白質で、抗原提示(註1) という免疫の初期のステップに関して重要な役割を果たします。
 HLA-B 座(註2)とは、第6染色体のMHC (major histocompatibility complex: 主要組織適合遺伝子複合体) という領域のclass I 抗原(註3) をコードする遺伝子座で、HLA-B27 は血清学的に決定されたHLA-B 座の 対立遺伝子(註4)のひとつです。30年も前に HLA-B27 とASとの関連が報告されています。AS患者におけるHLA-B27 の陽性率は報告により異なりますが、80〜96%と高率です。

 このHLA-B27 がASの発症において主要な役割を果たしている事に 異論は無いのですが、HLA-B27 ですべての遺伝因子が説明できるわけ ではありません。HLA-B27 のASにおける遺伝的寄与(どれくらい病気に 影響力を持っているか)は家族研究、双生児研究の結果などから、 高々50%と考えられています。加えて、
  1. HLA-B27保有者の2%のみしかASを発症しないこと 
  2. HLA-B27陰性の患者も多数存在すること 
などより、HLA-B27 以外の因子の関与が考えられます。そこで、私達は HLA-B27 以外の原因遺伝子をみつけようとしています。

 HLA-B27 以外のASの遺伝子としては、
  1. MHC関連遺伝子: HLA-B39、HLA-B60、MHC class I chain-related gene A and B (MICA, MICB)、tumor necrosis factor α (TNFα)、low molecular weight proteasome 2 (LMP2)、transporter-associated with antigen processing (TAP)
などや、
  1. MHC以外の遺伝子: IL-1RA (IL-1 receptor antagonist gene)、IL-6、 IL-10、7 cytochrome P450 2D6 (CYP2D6)
などが候補として報告されています。しかしながら、人種差などがあり、 確認のための更なる研究が必要です。決定的なものはまだ報告されて いません。


〔遺伝子解析研究の目的〕
 ASの治療が難しいのはその原因や、病気を起こす仕組みがよくわかって いないからだと私達は考えています。ASの原因遺伝子=おおもとの原因 をつきとめることにより、病気が起こる仕組みが解明され、おおもとの 原因を治せれば、それはこの難病の根治療法ということになります。

 また、遺伝子によっては、病気の発生だけでなく、その進展や重症度に 関するものもあります。それらの知識は、予後の予測、治療に対する反応の 予測を可能にします。予めリスクを知って、発症前に予防をすることも 可能になるかも知れません。


〔研究の現状とお願い〕
 頂いた血液はプライバシー保護の為に匿名化(個人のプライバシー情報を 除き、誰からのサンプルか特定できなくする)し、DNA (註5)を取り出して解析しています。相関解析と いう手法(ASとASでない人で、遺伝子の頻度の差を調べる)を用いて、 ASに関係する遺伝子をみつけようとしています。

 既に、日本全国から、約150 のサンプルを頂戴していおり、いくつかの 候補遺伝子を調べています。目下、ある薬剤代謝に関係する遺伝子で、 非常に有望な結果を得ており、確認実験を行っている所です。結論が でましたら、報告させて頂きます。

 以上、簡単ですが、御報告まで。今後、解析の感度、精度をあげるには、 少なくとも250-300 のサンプルが必要になると考えています。 更なる御協力をお願い致します。皆様に朗報をお伝えできるよう、 頑張りたいと思います。


〔注釈〕
註1:抗原提示
 細胞内に取り込まれた抗原(免疫反応を引き起こす物質)は 抗原ペプチドに分解され、HLA に結合してT 細胞に提示される。 これをきっかけに、その物質に対する免疫反応が始まる。
註2:座 (遺伝子座)
ある遺伝子が存在する染色体上の位置
註3:class I 抗原
 HLA はその構造、機能、発現の特異性などからclass I (HLA-A, B, C) と、class II (HLA-DR, DQ, DP) の2群に分類される。 class I は概ね内在性抗原(ウイルスや自己抗原)をCD8 +T 細胞に 提示し、class IIは外来性抗原をCD4 +T 細胞に提示する。
註4:対立遺伝子
 同じ遺伝子座にある遺伝子のこと。たとえば、血液型(ABO式) の 遺伝子だと、A 、B 、O 遺伝子がそれに相当すある。
註5:DNA
 deoxy-ribonucleotic acid(デオキシ・リボ核酸)の略。 遺伝子の化学的本体。DNA のG (グアニン)、A (アデニン)、 T (チミン)、C (シトシン)の4種類の塩基がある。 この塩基の組み合わせが遺伝暗号をなしている。


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